わたしたちは、記憶と情報を食べている。
最近エネルギーヒーリングの朝活でおせわになっている、ヒーラーのよいさん。
わたしたちは、記憶と情報を食べている。
これは、わたしが長年食べることに向き合ってきて、この数年で見出した結論で、我々はふつうにご飯を食べていると思っているけど、
実は
物質的な食事を摂取することは、実際に食べているものというより、その食事に紐づいた、
そのひとの記憶と情報が、エネルギーとして処理されている。
といったほうが正しい。
なので、記憶と情報処理が通常のキャパを超えた時、わたしたちは
食べられるはずのものが食べられなかったり、食べなくてもその情報や記憶を消化することで身体が持ったりする。
すごいまんまるく言うと(エネルギー)で、まあ仙人がかすみを食べて生きるとか、どっかの修行僧が生き埋めになって10日間息止めても、掘り起こされて体重変わってないとか
そういうやつ。
逆に、記憶と情報処理を上手に組みかえることをすると、
食べらないものが食べられたり、その情報や記憶をアップデートすることで、食事を変えることができる。
小さいこどもに食べさせるとき、わたしはこの方法を使う。
よいちんの日本帰国時に、食べて食べて食べて幸せだった、あとに
しばらくぴたりと食欲が止まるのは、そんなわけで
経験にどっと蓄積された記憶と、そしてたくさんの情報処理をするための時間、
それが済むと、これまでの自分たちの肉体とは別の、新しい情報と記憶によって刷新された身体に移行が完了する。
そしてまた大好きな食欲さがしの旅が始まるのだと思う。
わたしたちの身体は、つねに細胞が生まれ変わりながら刷新されていて、昨日やおとといの自分と同じように見えて、それはすべて点と点の連なりでできている。
そして、エネルギーや意識が最初に動いたあとに、肉体の反応というのが出てきて、数日とか、3週間とか。
その時差がとても面白いんだよね。
遅れて揃う瞬間というのがあって、それが身体に魂が戻ってくるみたいな感触が、「おお、きたきた」とピタリする時があって。
これは、時差のある国を行き来した時にもよく発生するので、
肉体x時間 というのがとても密接に関わっている。
食べることを観察していると、身体のことだけではなく、意識や記憶、わたしたちの壮大な旅についてのいろいろなことが見えてきて
その相関は、いつだって面白い。