お父さんがきて、わたしがあまりに激しく泣きじゃくってるので
「どうした」と聞くと、
本当は泊まりにいきたくて、ロープウェイにいきたいけど、どうしても言えなくて、でもどうしても言えなくて、半年間がんばって、こつこつ自動車学校に通って、やっと合格して免許が取れて、自分におつかれさまとビールの一杯でも飲みたいのに、それが許されてないと感じる。
そのことをたどたどしく説明しました。
母の一挙一動が気になって、ほんとうは免許が取れた日にゆっくり一人でお祝いがしたかった私は、帰りが遅くて怒られたことでますます縮こまっていた矢先の出来事でした。
父は、「そんなもん行きたきゃいけばいいし、お母さんは心配するだろうからお父さんがロープウェイまで送ってもいいし、電車でいってもいいし、行きたい場所に行ってこい」
ただただ私にそう言います。
でもわたしは、免許が取れた日に夜「おめでとう、おつかれさま」と言ってもらう代わりに、「なんでこんなに帰りが遅いの」と怒られたことで、もう何もかも自分は自由じゃないんだとそう思ってしまったのですね
泣きながら、その悲しかった合格の日のことを話して、
ヒステリックに
「わたしはもう二度とどこにもいけないの、友達と遊ぶこともお祝いすることもがんばった自分にご褒美することもダメなの、絶対ダメなの、やっちゃダメなの」
わんわん泣いて、そう言いました。
父はずーっと私と母の間でそういう役割だったんだけど、
その時もいつもと同じように
「そんなもんお母さんが嫌味を言ったところで俺がちゃんといっとくから大丈夫、いってこい」
と言いました。
母は、父がいうなら全て許すという家だったので、わたしは自由を奪われずにギリギリ今まで生きてこれたようなもんだったのです。突然外国にいくこともだし、海外で子供を産むことも、どんなこともです。
でも、その時はそれで
「そっか、よし、じゃあ行く!」とはなりませんでした。
そして、床につっぷして、涙と鼻水で床が盛大に濡れた上に頑なになった身体から、叫ぶようにして出てきた言葉はこうでした。
「だめなの、行けないの、お母さんがいやならダメなの、だって、
お母さんが大好きだから」
その言葉を「きいた」とき、そうか、わたしは、もうとおっくの昔から
「自分を生きる」ことをしていたことに気づきました。
誰かの目を気にして、自由を奪われた気がしたり、自分を犠牲にして我慢したり、そんな時期はとっくにすぎていた。
わたしはただ、大好きなお母さんの幸せだけを願っていて、だからお母さんが嫌なことは自分はしないとそう思っていたことに気づいた瞬間でした。
結局ぐしゃぐしゃに泣いたあと、その日のうちに仕事を早退して父が送り迎えをしてくれることになり、自分が運転して自由にどこかへいく、ということは叶わなかったにせよ
ロープウェイに乗って、ホテルにとまって、アフタヌーンティをして、いろんなことを感じながら優雅な時間を過ごしたのでした。
”だめなの、おかあさんが大好きだから”
きっとそんなふうに、おかあさんが大好きだから
だから自分が自分じゃなくなってるひとは多いと思う
でも、おかあさんが大好きだから
だから、自分の幸せを勇気を出して選ぶことで
わたしはその日から、二度と「わたしはどこにもいけないの」
とは思わなくなりました。
お母さんが大好きなことはもっと好きになったし、息子のことももっと好きになりました。
自分が、自分であろうとすること
そこにはいろんな壁がやってくるけれど
お母さんという大ボスの最後の壁を
みんなが超えていけるように
わたしもこれからも日々、お母さんを大事にしてる自分を大事にしたいです.
おわり
”お母さん大好きと思える日を迎えたい”
お父さんがきて、わたしがあまりに激しく泣きじゃくってるので
「どうした」と聞くと、
本当は泊まりにいきたくて、ロープウェイにいきたいけど、どうしても言えなくて、でもどうしても言えなくて、半年間がんばって、こつこつ自動車学校に通って、やっと合格して免許が取れて、自分におつかれさまとビールの一杯でも飲みたいのに、それが許されてないと感じる。
そのことをたどたどしく説明しました。
母の一挙一動が気になって、ほんとうは免許が取れた日にゆっくり一人でお祝いがしたかった私は、帰りが遅くて怒られたことでますます縮こまっていた矢先の出来事でした。
父は、「そんなもん行きたきゃいけばいいし、お母さんは心配するだろうからお父さんがロープウェイまで送ってもいいし、電車でいってもいいし、行きたい場所に行ってこい」
ただただ私にそう言います。
でもわたしは、免許が取れた日に夜「おめでとう、おつかれさま」と言ってもらう代わりに、「なんでこんなに帰りが遅いの」と怒られたことで、もう何もかも自分は自由じゃないんだとそう思ってしまったのですね
泣きながら、その悲しかった合格の日のことを話して、
ヒステリックに
「わたしはもう二度とどこにもいけないの、友達と遊ぶこともお祝いすることもがんばった自分にご褒美することもダメなの、絶対ダメなの、やっちゃダメなの」
わんわん泣いて、そう言いました。
父はずーっと私と母の間でそういう役割だったんだけど、
その時もいつもと同じように
「そんなもんお母さんが嫌味を言ったところで俺がちゃんといっとくから大丈夫、いってこい」
と言いました。
母は、父がいうなら全て許すという家だったので、わたしは自由を奪われずにギリギリ今まで生きてこれたようなもんだったのです。突然外国にいくこともだし、海外で子供を産むことも、どんなこともです。
でも、その時はそれで
「そっか、よし、じゃあ行く!」とはなりませんでした。
そして、床につっぷして、涙と鼻水で床が盛大に濡れた上に頑なになった身体から、叫ぶようにして出てきた言葉はこうでした。
「だめなの、行けないの、お母さんがいやならダメなの、だって、
お母さんが大好きだから」
その言葉を「きいた」とき、そうか、わたしは、もうとおっくの昔から
「自分を生きる」ことをしていたことに気づきました。
誰かの目を気にして、自由を奪われた気がしたり、自分を犠牲にして我慢したり、そんな時期はとっくにすぎていた。
わたしはただ、大好きなお母さんの幸せだけを願っていて、だからお母さんが嫌なことは自分はしないとそう思っていたことに気づいた瞬間でした。
結局ぐしゃぐしゃに泣いたあと、その日のうちに仕事を早退して父が送り迎えをしてくれることになり、自分が運転して自由にどこかへいく、ということは叶わなかったにせよ
ロープウェイに乗って、ホテルにとまって、アフタヌーンティをして、いろんなことを感じながら優雅な時間を過ごしたのでした。
”だめなの、おかあさんが大好きだから”
きっとそんなふうに、おかあさんが大好きだから
だから自分が自分じゃなくなってるひとは多いと思う
でも、おかあさんが大好きだから
だから、自分の幸せを勇気を出して選ぶことで
わたしはその日から、二度と「わたしはどこにもいけないの」
とは思わなくなりました。
お母さんが大好きなことはもっと好きになったし、息子のことももっと好きになりました。
自分が、自分であろうとすること
そこにはいろんな壁がやってくるけれど
お母さんという大ボスの最後の壁を
みんなが超えていけるように
わたしもこれからも日々、お母さんを大事にしてる自分を大事にしたいです.
おわり
Hello! It's Mai.
世界中に愛と癒しが行き渡り、みんなが支え合って生きてゆけますように💕
–Mai
Recent Posts
11月11日夜21時〜ヒーリングGolden shower
Pure imagination ウォンカのチョコレート
Pesto バジルの基本のソース
泡立てとエッグビーターのはなし
栗という風物詩(栗きんとん)
Category
Tag