なにか、こころ震わせられる瞬間や
あっというまに消える流れ星に瞬間的に巡り合えたとき
わたしは、そのMoment を、ただただどんなかたちでもいいから、残しておきたいとそう思う。
それは文章のときもあるし、今この瞬間の光の動きを写真にのこしたいと思うこともあるし、
キャンバスの上に色を落とすこともある。
でも、そういえばこの前クライアントさんと話していて
「こんなに苦しくつらいなら、もう人と関わらずに生きていったほうがいいんじゃないか?」
という話が出たんだけど
つまり、マイさんはこんなにも地獄の苦しみを味わってなお、😂人と関わろうとすることを選択してる。そんなことはナンセンスなんじゃないか、というもの。
それでその時は、たしかに。とおもって、特に無理して人と関わることが全てじゃないよなあとすごくおもってね。
たとえば私の場合はどうしても社会生活を営む上で、助けがないと生きてけない部分があるから
嫌でも関わらざるを得ないというのはもちろんあるんだけど、
もし私がとくに自立して生活する上で、なんとか1人でやってけるのだとしたら、
それは無理して他人と関わって生きる必要はない。
家で小さな植物を育てたり、ささやかな食事に気を配ったり、たまにはすこし足を伸ばして美術館に行ったりすることは、ひとりでも世界の美しさとともに歩むには十分だとそう思う。
とかく、やりたいようにやればいいし、恋愛だとか家族だとか、友達だとかぜんぶひっくるめて
とくに人と関わることが「よいこと」「正しいこと」ではない。ということ。
その上で、ちょっと冒頭の話に戻るんだけどね。
わたしは、
なにか、こころ震わせられる瞬間が自分に訪れたとき
その尊いMoment を、ただただどんなかたちでもいいから、残しておきたいそう思う。
これは、わたしの記憶の仕組みの関係もあるとおもうのだけど、普通のひとよりも
ものすごい記憶が鮮明であったり、ものすごい記憶が瞬時に流れたりするから、
一生懸命、どこかに、どこでもいいから、それと繋ぎ止めておきたい、と必死で思うんだね。
最初に書いたとおり、私の場合は、主に文章、写真、絵など。
そして、もっとも忘れちゃいけないのが、
「だれかの記憶にのこること」
なんじゃないのかな。とおもったんだ。
わたしは、すごく、すごく素敵なことや、すごくすごく悲しいことが起こったとき
自分のなかにそれをとどめておくことが難しい。
ちいさなこどもが、「ねえねえママ!きょうね、お空のくもがすごいうごいてたんだよ!」
とみるものふれるものすべてを、信頼するひとに預けるように
なにもかもを、ひとに預けたくなる。
そういう人がいないとき、わたしは自分の記憶の行き場所を失って、そしてほんとうに記憶喪失のようになってしまう。
どんな感じか、記憶を失うって体験したことないとわからないかもしれないのだけど、
真っ暗な海の底をあてもなく漂うみたいに怖い。真の闇という感じ。
そして、もちろんひとりでできることは、頑張ってやるのだけど
大切な人との関わりは、
その尊い瞬間を、誰かの記憶にも留めること
それに尽きるんじゃないのかなあとおもったんだよね。
19年頃に、りゅうじ(山下)がきたときの短い記録に、
”自分がおもってもいないところで、自分のことばや存在が、誰かの記憶につよく残ることがあるんだな”
という内容があって
つまり、わたしたちは、たったひとりで孤独に生きているだけでは、誰かを揺さぶったり、苦しめたり、喜ばせたりすることはなくて、
気づいていない場所で、いろんなひとに、いろんな影響を与えあって生きているということ。
ひとりで過ごす限り、誰かの記憶に、ピンをとめることは起こらない。
でも、生きてる間に、ものすごいいろんなことを体験して
それは目に見えない、内側の感覚でもいい、シンプルな感動や、愛に震わされたことや、ことばにできない怖い思いを
もしも、打ち明けられる人や場所があって、そこが誰かにつながっているのだとしたら
わたしたちは、まさに、生きた証を、誰かの記憶にとどめることができるんだと思う。
人と、関わることは誰にとっても難儀なものだよね。
たまらなく愛するだれかや、とても大切な人といても、毎日が勉強で、一生懸命にならないと乗り越えられないことなんて山ほどある。
楽なだけの人間関係なんてきっとこの世界には存在しなくて
たったひとり、取り残されたとしても
それでも、それは、続いてく。
なんか、うれしいな
とおもった瞬間を
誰かに分かち合えることは、
なにかを嬉しいと思うこと以上に、尊くて、すばらしいことだとおもう。
わたしたちは、この世界に生きているみんなから、
そんなふうに記憶をわかちあって、共有して、同じ世界の上に生きている。
自由に、表現して、そして誰かのこころに
ちいさな何かを残せたら、
それこそがわたしたちが生きた、証なのだと思うよ。
たとえそれが、誰かに苦しみを与えてしまった瞬間ですら、
だれかの記憶にピンをとめたことは、ものすごい偉業で、愛なんだ。
これは、わたしの記憶の様子をえがいたもの。
みんなみたいに、線で時系列順につながってはいなくて、全方位にちらばって、まるで星空みたいに。