これまで何度も書いているけれど
多くの人が、間違えているのは、【理解できてないことをダメだ】と思っていることだ。
本当に大切なことは、言っても、言っても、何百回言っても伝わらないこともあるけれど、何度でも言う、それは、とても、シンプルなことであって
誰かを支えたり、救ったり、愛をかけたりすることができるのは
それは「理解」じゃない。
「自分は、理解したいと思ってる」でもない。
ただ、理解しようと実際の行動として寄り添うこと、それだけなんだ。
それは、本当に、この世界にいる全員にできる。
生まれてまもない赤ちゃんや、まだ言葉すら拙い年齢ですら、
「世界を、目の前にある愛するものを、知りたい、理解したい」
という気持ちがあって、それを一生懸命やってる。
それは、
「自分は理解したいと思ってる」と大人の言うことは、まったく異次元のものなんだよ。
「自分は理解したいと思ってる」どころか、
「どうして自分の方がそうしなきゃいけなの?」向こうが変わればいいじゃんと言う人もたくさんいる。
それは、「どうして車が歩行者のために止まらなきゃいけないの?向こうが待てばいいじゃん」というのと同じなんだ。
「理解しようとすること」は、わたしたちのコミュニケーションに真の橋をかけて、救い、愛で満たし、優しさで包み、どんな過酷な状況ですら乗り越える力になってくれる。
そして、「自分は理解したいと思ってる」は、結局は自分止まりで、かかっていた橋までもを壊してしまう。
なにかを、大切なものを、理解しようと努めることに
考えたり、自己完結したり、勝手に判断したり、自分がそう思うと一方的に決めつけたり、
それは、理解とはかけ離れた場所にある。
ただ、そこにある大切なものを、
知ろうとすること
それだけが、この世界を救うんだ。
知ってることじゃない。理解でもない。
知ろうと思ってる、でもない。理解したいと思ってる、でもない。
知ろうとすること。理解しようとすること。
その違いが、critical で、crucialで、
生死を分ける、分かれ道だよ。