はじめて球根を掘るのにチャレンジした、ガーデニング4年目の初夏。
これは骨の折れる作業だなとおもいながら、来年からは掘るか、潔く捨てて翌年新しい球根を買うか、迷う。
全国で球根を栽培しているお花を育てている全員のひとに敬意をはらいたくなるきもち。
世にも美しい色を刻々と様変わりさせながら魅せてくれたチューリップは、来年もぜひまた会いたいと思って一生懸命球根を育てようとしたけれど、結局ぷっくり原型で掘れたのはたった1個だった。
たおくんがその1個を手のひらに乗せて、「売ってるやつみたいだねえ!」と喜んだ。
また今年の秋球根を買って植えて、そして春に堀り、何年も繰り返すたびにその庭仕事の醍醐味の感触を、すこしづつ確かなものにしてゆくんだろう。
2年前の今頃の、庭仕事の日記を読んで、ああ、6歳だったたおくんはまもなく8歳になり、わたしはトレニアを上手に育てられるようになった。
そう思った。
全ての枯れたビオラや、まだほんの少しだけ最後の息吹を吹かせた痩せた花たちを処分して、夏の花を植えた。
トレニアを植えると、夏が来た感じがするなあ、とそう思った。
毎年植えているから、そのたびに記憶が刷新されてみずみずしい。
植え替えには慣れて、最初の頃は大掛かりなイベントだったのが、片手間にさっと片付けられるようになった。
去年前のマンションの花壇に植えた日々草は、可愛かったが、匂いがダメだったので、今年は買わなかった。元気に次々咲いて強いけど、垢抜けてはいない花たちもある。
触れた感触や、匂いや、散る様子や全部を体験していって、毎年植えるサフィニアやトレニア。サフィニアの香りと、花がらを摘む時のねちょっとした感じも好きで、トレニアの花がらを摘むのは、実にMeditativeで毎朝の楽しみになる。
去年、もうちょっと咲かせられそうだなと初めて植えたペンタスも、今度買ってこようと思う。
今年の夏は、去年のような必死で愛を追いかけた夏じゃなくて
もうすこし、完成されたような落ち着いた夏を過ごしたい。
そばにいてくれるみんなと、今までの人生史上でもっとも、安定感のある関わり方をしていると思う。まだまだだけど、静かな信頼や愛や希望を、いつももらってる。
重い腰を上げて、夏の花を遠慮がちに買って植え替えると、しばらく枯れたままにしてあった暗い庭が、いのちを吹き返したように
ぱっと鮮やかに蘇った。
花の苗は、まだ1つや2つ花をつけているだけの小さなものなのに、花というのはものすごい気配を漂わせているんだと改めて驚いた。
死んでいたような感覚を、トントンと起こすみたいに、街を見渡したときも、家々の玄関先が生まれ変わっていくのを祝った。