過去リーダーシップの講座やセミナーをやってきたり、先を歩くみんなの相談を受ける中でいろいろ思う。
トップで動くとはどういうことか、とか、チームワークとか。
個人のフリーランスでやることと法人の違いだとか、経営や指示するひとたち、仲間を作ろうとするひとたちとかについて日々観察してる。
今は自分の周辺に関していえば、サポートしてもらうために集まってくれたみんなが、妹を筆頭に色々真剣に考えてくれたり動いてくれていて、どうしたらスムーズにいくかなと日々考えたりしながらやってて、
わたしは完全にサポートしてもらう側なんだけども、昔会社を作ってスタッフを雇ってお願いしてた頃と何が違うんだろう?と、複数のひとたちが1つの目的に沿って連携することの大事さとか仕組みについて毎日のように考えてるのであった。
もともとわたしはリーダー気質があり、同時に1人じゃなにもできない部分があり、それで周囲の人は手を焼いてきたと思う。めっちゃ泣いて子供みたいに周囲を頼るくせに、突然先生づらしたりと結構怒りを買ってきた。汗
でも今リーダーとしてみんなを統括する立場じゃなく、できない自分を助けてもらう立場で動くと、これまたリーダーについての色々が見えてくることがあるのだった。
指示したり、判断したりすることは誰にでもできるわけではなくて、リーダーがやることが多い。
ただ、人の本質というのはおもしろいもので、リーダーができそこないの場合もあるんだよね。
そういう場合は何が起こるかと言うと、指示したり判断したりするのは、優秀な幹部ということになる。
じゃあリーダーって何してんのって思うかもしれないけど、多分そういうチームは、リーダーは基本実務的なことが何もできないんだけど、コンセプト的な部分のより大きな部分で
なにか大切なことを選択している場合がある。
愛とか世界平和とか改革とかね。
たとえばだけど、「この国の教育を俺は絶対によくするんだ!」という信念だけ持ってる男がいたとして、でもそういう人が具体的な能力があるとは全然限らない。
でも「この国の教育を俺は絶対によくする!」とその男は決めてるので、人が集まってくる。
この国の教育を絶対よくするために何をすべきかの方法はまったくわからない代わりに、
この国の教育をよくするためにはxxをxxxすべき、がわかっている幹部がそれを指示していく、みたいなイメージかな。
最近は小学2年になったタオさんが、「ママは次着替えね。着替えたら洗い物」と指示してくれる練習をしてる。けっこううまくいってる。わたしのボスである。
なので、「なんでこの人1人じゃ何もできないくせに上に立ちたいんだろ」みたいなリーダーがいたとしたら、多分その人は上に立ちたいわけじゃなくて、
何かしらの「想い」という意味での大きな選択や信念みたいなのを持ってるかもしれない。
そういう場合は、周囲の人がその信念を形にするために動いてあげないといけないこともあって、本人がそのことを理解して感謝したりできてないと、ただの威張りたがり(笑)みたいに見えるかもしれないけど
基本的には、なにかしら「やりたいことがあるけど、やり方を知らないから助けがいる」
みたいな状況かもしれないんだよね。
わたしの周囲には、昔から優秀な人がいつも集まる。
一度山下さんに、「マイの友達って優秀なひとばっかだな」と言われたとき、そうか〜と思ったんだけど
ひとつには、自分が必要としているサポートが、きちんと見極めて指示できることが求められて、ものごとをよく見ていながら判断する聡明さがないと難しいからだと思う。
やることはとてもシンプルで子供でもできる内容でも、それが必要なのだ、とわかるための知性がいるのかもしれない。
あとひとつには、発達障害の関係もあって、わたしは見通しをつける力が弱くそのため不安がとても強い。本能的に生きる力が長けてる代わりに、社会で生きてく能力が無い。
まさに一寸先は闇の中で日々を過ごしているので、そのハンデをカバーするために、周囲に安心できる環境を確保しようとするのだと思う。
とくにジャッジしたりとか、見下したりとか、優劣をつける意味ではなく、頭がいい人というのは解決する力に長けているし、豊かな人もまた、貧しい人よりもそばにいて安心することができる。
ある意味自分が劣っている部分があるからこそ、優秀な人の近くにいることで守られているような感じだと思う。
誰かのすねをかじって生きるだとか、依存して生きるとか、人からなにかを奪って生きる
ということは、良いこととは思われない。1人の大人としてはダメとされる。
誰かに守ってもらいながら生きるとは、一見そういうものと表裏一体かもしれないけれど、そこに卑屈な心や傲慢さが無ければ、素直に周りに感謝して生きてゆくという態度になっていくんだろうなと思うのだよね。
わたしの立場はいつもとても精巧で、助けてもらう下の立場であると同時に、助けてくれるみんなを照らす立場でもあったりしていて、偉ぶるステージ(というかは周囲にそう思われていたステージ)はとうに過ぎたけれど、ただ自分ができることはいつも探し続けていようと思っていて、
ただ弱くて守られるだけの存在であればそれでも良いけれど、人には必ずそれぞれが持っている、本来の強さもあるわけで。
両方を受け入れて、しなやかに世界と関わっていくことは一筋縄じゃいかないかもしれないけれど、男だからこうしなきゃとか、女だからこうあるべきとか、xx歳だからしないととか
そういう枠から自由になることができれば、みんながもっと支え合える世界になってゆくと思う。
愛でつながることができる関係は、上でもあり下でもあり、与え受け取るが双方向にいつも流れていて、それはそれはすばらしいよね。
今日々みんなと関わらせてもらいながら、本当にそう思う。
よきリーダーを育てることはわたしのひとつの役目なきがする。
すてきなリーダーの自覚がでてきているタオさん。