コナンの映画を毎年見に行ってて、長年のファンなマイ。去年の映画は3回くらい見に行った。
昨日過去の劇場版コナンを観てて、たおくんに「で、公安ってなに?」と訊いた。わかんないって言ってた。
「じゅんしょく(殉職)ってなんだろう・・・」って思いながらいつも観てて、ストーリーを理解して見てるかというと、複雑なトリックの内容とか全然よくわかんないままいつも見てるのであった😅←でも好き
今朝ふと、20年くらい前にはじめて一人暮らしをした頃のことを思い出した。
実家を出たのが約20年前で、初めて一人暮らしをしたときに、わたしはその台所にいろいろな道具を揃えて、はじめて好きなものに囲まれて過ごそうと努めた頃からというもの、いろいろな台所を渡り歩いたなあと思う。
その頃に苦しんだときの記憶は、すでにほとんど過去のよき思い出になっていて、ふとなぜ私はあの時他のどんなものよりも、台所用品をとにかく買い漁り続けたんだっけ、と考えていた朝。
わたしにとって、どうもそれは、日々を慰めるというか、辛いことを忘れさせてくれるようなものだったようだ。もう覚えていないけれど、当時から使っているナイフとか、まだ今も変わらずんに使っているものがいくつかあると思う。
フランスに住んで、また日本に戻り、上海に飛んで、そこで同じナイフと暮らし、またそのナイフをスーツケースに突っ込んでわたしはアメリカに引っ越し、大きな台所から、小さな台所、山ほどいろんな店の厨房やキッチンで料理をしてきた。ニュージーランドの台所は、アメリカのそれよりも全般的に狭い印象だったし、揃えられる道具も、それぞれの国で違う。
その都度わたしは自分の最大公約数をどんどん中心でふるって、そこに残ったものが今というわけだ。
わたしが料理の道に進んだきっかけは、どうにもならなかった自分の心の闇を、何が最後に照らしてくれるかを探していたところからだった。
なので、癒しのためのご飯でもあったわけだけども、料理をやめた後いろんな癒し現場でみんなの長年の苦しみが昇華されてくところを見てきて、
そういえば、それって時効があるとしたら、どんくらいなんだろうと思った。
わたしが20年くらい前に、はじめて一人で暮らして、台所用品を1つづつ物色してたあの頃の苦しみや罪は、いつ頃に癒やされて、いつ頃に時効を迎えるのかなと。
同じまな板と、同じナイフをわたしはいつから使ってるだろうと思い出しながら。
それでコナンの事件にも、時効ギリギリで逃げる犯人とか出てくるんだけど、調べたらちょうど、それは20年だと書いてあった。
20年経つと、事件を訴えたり、掘り出してなにかを請求したりできないらしい。
つまり、20年経つと、そのとき犯した罪は、ちょっと語弊があるかもしれないけど、社会的に「許される」ということだ。
何かの想いや罪や許せないきもちを、長い間抱えて生きているひとをたくさん見る。
その荷物を下ろすこともわたしの仕事のひとつだけど、もしも、ずっと一生抱えて生きていくんだと思うような辛いことがあるのだとしたら、一度20年経過したかを区切りとして見てみるとよいかもな。と思った。
20年経ってたら、もう時効。
別に5年だろうが3ヶ月だろうが、自分が決めたタイミングで、それは釈放されるのは事実なんだけど、自動的に釈放が決まる期間があるのだとしたら、20年が最大ということでよい。
そうか、わたしの昔の記憶も、歳をこうやって重ねて、気づいたら時効になっていたんだな、と思った朝。
20年の間にいろんな経験をみんなきっとしたし、色を重ねていくことで最初の色が見えなくなる瞬間がやってくる。
無理してセラピーとか受けたりトラウマ治療を受けなくとも、時間が癒してくれるもの。
心強いね、歳を取るって。