玄関を出てすぐのところに植えた、ラベンダーが花をつけた。
秋に何度か恋人の横を歩いた、小学校までの散歩道で見かけたラベンダーは威勢よく咲いていて、わたしの庭のはまったく咲かなかったので、もう咲かないんだと思っていた。
ラベンダーの季節が春なのか、秋なのかはよく知らなかったし、いつ買ったのかわからなかった。
あの頃は、一度咲いたらもう2度と咲かない花があるんだと、そう思っていたんだった。
雨上がりの4月の夕暮れに、玄関を出てひやりした空気を感じた。
数日夏みたいな明るい気温が続いたから、いつもの4月がとても冷たく感じる。すこし暗がりの中で咲くラベンダーは、色になんだか奥行きがあって、緑の中に文字通りのラベンダーはとても、映えた。
この半年近くは絵を描く仕事を続けているので、世界の中で目に飛び込む色や光にはまた一段と敏感になった。
ぱっと見ただけではわからないけれど、2色のラベンダーが植わっていて、それは買ったときブルーとピンクと書かれていて、
ドラえもんに出てくる小人の宇宙人みたいなラベンダーの花。
たおくんを産んだときに滞在していた家の敷地には、山ほどのハーブやナッツの木が植えられていて、そのときはどれがミントでどれがラベンダーかなんて一切の見分けがつかなかった私だった。老婆に「庭でタイムを摘んできて!」と言われても、どれがタイムかなんて全部が一緒くたのみどりの草にしか見えなくて、老婆にそう言われるのがすごく嫌だった。
今自分のちいさなハーブガーデンには、ラベンダーとタイムと、ローズマリーとオレガノとイタリアンパセリとルッコラと、セージとコーラみたいな匂いがするなんとかっていうハーブが植えてある。
あとはラベンダー。
ときどき脇に生えてる雑草をみながら、君たちはハーブなのかな。雑草なのかな。とそう思う。
この部屋に越してきた去年の6月、入居した時にわたしは「次の家に引っ越したら台所は〜しよう」と話してたらしく、驚かれた。まだ引っ越してきたばっかりなのに。と言われた。
この家にずっと住むつもりが最初から無かったのは、わたしにはちゃんと、望む未来がずっと、あったからだ。
たおくんと二人きりで暮らす今の家じゃなくて、家族ができて、ちゃんと家にひとがいて、安心して暮らす未来。
小さなハーブガーデンに植えられたハーブたちを、その時に引っこ抜いて新しい家に植えることをときどき考える。
それは別に、今の生活に不満足だからとかそういうことではなくて、わたしなりの独特の時系列を過去や未来に伸ばすときに見えてくるものだ。
最初、植えたときのラベンダーはさすがにもうちょっと小さかったかな。いつ買ったんだっけと思って写真を探した。
まだほんの、1年前のたった春だった。
もう何十億年も昔みたいに感じるあの頃と、何も変わっていないようでいて、いろいろなことをくぐり抜けたんだと思うこと
去年の写真の中には、もちろん山下さんの写真もあった。
過去は、辛い記憶の写真は全部捨てたけど、今はその癖をしなくても良くなった。なぜなら、山下さんは過去じゃなくて、いつもわたしやタオくんの”今”の中に存在してるからだと思う。
何かを経験している真っ最中は、苦しかったり辛かったりする時間
一体なにが起こっているのかわからないことはとても、多いと思う。
でも全部が癒されて道が平らになると、そこで何が起こっていたかが、とてもすんなり見えるんだよね。
どうして病気になったのかとか、どうして不安だったのかとか。みんな、そう
ラベンダーは、ちゃんと増えて、成長してる。
たった1年で、植わる場所を変え、広がり、大きくなった。
わたしたちも皆同じだ。
たった1年で、わたしは1年前とは別の世界を生きていると思う。ずっと前に進み続けて、力強く生きてる。
おなじラベンダーと共に。