4月3日のまもなく咲きそうな、チューリップ。
毎日草取りをしても、ぜんぜん追いつかないくらいに生命がどんどん勢いづいてる4月のハコニワ。
こんなに忙しい庭は、初めてだ。
秋に球根を植えたチューリップ、毎年背がすごく低かったり、なぜか咲かなかったりして、はらはらしながら見守ってた鉢が、綺麗に伸びて、多分ことし初めてちゃんとチューリップを咲かせられそうな予感がしてる。
もう一個の鉢に植えたやつは、4個くらい植えたのが全滅で、同じように水やりをして同じように育ててたのに不思議だった。他のお花が続々芽を出していたときに全然芽が出なくて、全部球根が腐ってるのを発見したときには、ショックで呆然としたよね。
たおくんのチューリップが、とても威勢よく1番乗りで咲いたので、「どうしてママは上手にチューリップを咲かせられないんだろう?🤔」と言ったら、
「球根が悪かったんじゃない?」ってさらりと言ってた。
じっさいたおくんの小学校のチューリップも、2本植えたうち、1個だけとても長く強く伸びていて、一つは背が低く、咲かなかった。
生命の不思議。
そして、生命をととても上手につきあうには、コントロールをやめて、寄り添うことが1番。
わたしが1つ、チューリップを上手に咲かせられなかった大きな理由は、
「チューリップを上手に咲かせたい」と思っていたからだ。
りゅうじ(山下さん)が、実家のお母さんが毎年近所の家じゃないとこまでチューリップをじゃんじゃか植えて、青森の雪の下で寒さに耐えたチューリップが春になると道を彩るという話をきいて、
そうか、チューリップの達人、、、にならねば、、、
と心のどこかで思っていたかもしれない。
いのちはとても素直で、愛をかけただけ、こたえてくれる。
呼吸を合わせるようにして、なにを望んでいるかを汲み取って、水を減らしたり、増やしたり、ときに肥料をあげると、彼らは世界をこれでもかというほど美しく彩ってくれる。
わたしたちはその世話役として、「咲かせよう」などと思ってはいけないのだと思う。
彼らの生命力を、花開くようにそっと脇役として手伝うこと。
自分を生かすということも、きっとそんなふうにある日大輪の花が咲く。
いつしかわたしも、別にチューリップの達人にならなくても、わたしはわたしで良いのだ。
そんなふうに思うようになったから、きっと咲いてくれた。
球根から育てるのは、やっぱり待つ地味な時間が長いし、しばらく年を重ねたら、咲いている株を買ってきた方がやっぱり楽かな。
と思ったりしたものだったけど、去年小さな庭にある場所に引っ越してから、プランターのガーデニングからすこし毛が生えた庭仕事にアップデートされて、しごとも増えるけど、喜びもまた遥かに増えた。
そして、球根からじっと季節をまたいで咲く花は、どれもとても愛おしくて、きっとまた、毎年植えたくなる。
2/28 に、芽が出始めたチューリップ
3月25日。まだまだ葉っぱだけ。
4月2日
4月4日
4月5日
何色のチューリップを植えたか、忘れちゃうから笑
グリーンがこんなふうに今日色づいて、そしてうわあ、黄色だ。かわいい。となった。
なんでも忘れちゃうのは不便なんだけど、毎日がサプライズに満ちることは嬉しいこと。
チューリップはそして、寒さにしっかりあてないと咲かないんだって。
だから、今年は雪もたくさん降ったし、きっとわたしの庭にも春をもたらしてくれた。