一番ふつうの小さいよいケーキを、クリスマスやタオさんの誕生日に焼いてきた。
スポンジが成功すれば、あとはいちごやクリームを塗るだけで、安定して安心して美味しくて、さくさくたくさん食べられる定番のレシピになってきた。
(レシピをまた整理してあげる予定です)
セイユーにお墨付きってやつがあるけど、我が家では
山下の【うまいな】(お墨付き)がつくと、きほん美味しいことになっている。
山下さんは美食家だね。
と告白室にコメントをいただいたけど、ともかく彼の食い物にたいする愛は昔から抜きん出ていて、それは自分にとってとてもありがたい。
ただの食べ物への執着だとか、ただうまいものが好きだとか、高いものしか食わないとか、あれこれうるさいグルメな人といても息がつまるのに対して、
わたしがそうであるように、とてもシンプルに食べることに感謝ができていることや、ジャンクも抵抗なく食べれると同時に舌が肥えていることは、彼に舵取りを任せていても安心してその船に乗っていられるということでもある。
今の自分の活動の軸になっている原点でもある部分でもあるのだけど、食べるものがある意味とても偏っているわたしにとって、過去の人間関係は、「食べる」と密接に関係しながら悩んだり壁にぶち当たってきた。
ヴィーガンであった時期が長かったのもあり、愛する友達やパートナーと、同じ皿の上のものが食べられない葛藤をずっと味わってきて、それは生涯を通してのテーマだと感じてきた。
そういう意味で、今本当にそばで一緒に過ごす人と同じものが食べられるというのは、自分にとってものすごく奇跡の確率なのだ。
そんなわけで山下基準の【うまいな】が出たものは、お墨付きということになるので、この繰り返し焼いてきてるケーキは多分、これからも焼くことになるだろう。
(参照)ある満月のにちようび
タオさんのひいおばあちゃん(わたしの父方のおばあちゃん)が91歳になった。もう1年くらい、ほとんど訪れることがなくなって、親戚の集まりに毎回具合を悪くしていたわたしは、なかなか足が遠のいていた。
いろいろなことが落ち着いてきて、体調も戻ってきて、ケーキを焼くまでの元気が出てきた最近。
2人で一緒にあさからケーキをつくって、運んだ。ケーキというのは作るのはよいけど、きちんとした箱とかがないと、運ぶのが意外と大変。
ちょっとクリーム失敗しちゃったけどね
父方の先祖に守ってくれている霊がいると言われていて、きちんとお参りして感謝を述べておいた。
いつも守ってくれてありがとう。
91年という果てしない時間を、どんなふうに生きたおばあちゃんだろう。
このあいだの母の誕生日にケーキを持って行けた日のように、久しぶりのおばあちゃんの顔を見られてよかった日。
生まれてきてくれて、ありがとうおばあちゃん。
夏らしい、空にも出会えたすてきな1日だった。
長生きしてね。