相手が、何かをまだ学んでいる最中だとか、
これから気づいていく最中だとか、
その伸び代だとか、
向いている方向だとか、
ほんとうに持っている愛の部分だとか、
本質の姿とか、
そういうのを全部、ふまえた上で、
「相手が間違ったまま」を受け入れて、接していくこと。
まちがっていることを、「まちがってる」と弾弓することって
とても簡単で、
むしろ世界にはまだまだそういう部分がやまほどな中で
あれも、これも、
正そうとしていては、身がもたないし、
それよりは、
まだ、成長過程だと
ただ思い、
水をかけること。
いつも、花を育てると、それが咲くまでの長い時間のことを思い、
種から植えると、それはもうさらに長い時間がかかり、
ひととひととの関係のことを思うと、もっとで、
誰かが、ほんとうの姿に戻っていくのもまた、
同じことなんだと思う。
まちがってても、いいと、そのままでいさせること。
それでいて、
諦めたり、切り捨てたり、無視するんじゃなくて
愛を、
かけつづけること。
そうすると、多くは、花を開かせる。
癒しとか愛って、いいもんだと思う。
果てしないし、見返りはないし、
咲く保証もない。
でもやっぱ、
いいもんだよ。
これは、このまえから花をつけはじめた、はじめて
種から植えた、スイートピー。
種から植えるのはけっこうめんどいけど、癒しの過程って
種どころか土起こしと土の中にあるガラクタ除去から始まるから、わたしにとっては超易しくて、うれしい時間。