(2018年夏記事編集済)
大好きな映画に千と千尋の神隠しがあります。
食べ物のシーンがリアルで有名なジブリだけど、知らない世界に紛れ込み、不安でいっぱいだった瞬間に号泣しながらおにぎりを食べるシーンは
何度見ても泣けるう。
そしてもうひとつ、とても重要なシーンが、
主人公のちひろの身体が消えてなくなりそうになった時。

神さまのこはくが、
「この世界のものを食べないと消えてしまうんだ」
と言って千尋に何かを食べさせるシーンがあるのです。
わたしは常々、自分がこの世界に身体を持って生きている
ということは、上のシーンと全く同じで
人間の3次元で生きるために、その世界のものを食べる
ことだと思っていて。
もともとすごい食い意地がはってて、執着もひとしおだったので美味しいものは今でも好きですが
肉体という3次元的な感覚を超えて自分のことを見つめると、
とくに食べなくてもいい
と思ってる。
もちろん最初からそう思っていたわけではなく、30代に癒しとガチで向き合ってきた同じ態度で20代のころに「食べる」と向き合ってきた最後は、
「食べなくていいなら食べないことが本当は楽」
という無の感覚になりました。
これは、食べることを否定したりとか、拒食的な感覚じゃなくてどちらかというと食への愛が突き抜けた感じですね。
もう愛しかなくて、感謝しかなくて、なくてもいいくらいって感じになります。
あと、ベジタリアンでいること、本当に良いエネルギーのものだけを摂取する生き方というのは、本来肉体を維持する上でかなり楽なんですね。
そういう意味で、一番楽なのは、「食べなくていいなら食べない」感じです。
よく仙人がかすみを食べて生きてるやつ。
○
時々、空に還りたいとか、元いた場所に還りたい
生きてる意味がわからない、死にたい
というコメントが私の元に寄せられます。
「生」に御愁傷さま、「死」にお疲れさま、祝福する文化が世界のどっかの文化圏にあることをご存知ですか?
わたしたちの魂は基本、この世界に
わざわざ苦しみを背負って学びに来ようとしてます。
そういう意味では苦しくて当然というか、空に還りたくて当然、
死にたいという感覚自体、すごいナチュラルなことだと思うわけです。
(最近はあんまりないけど、生を完全肯定できるようになるまで昔はわたしも凄いそうだった)
身体ごと放棄したくなってしまったら
千と千尋の神隠しの、
「この世界のものを食べなければ、消えてなくなってしまうんだ」
という言葉を思いだしてください。
魂というピュアな存在を纏う、肉体自体がそもそも3時限てきなもので、時にそれが汚いと感じることも、おかしいのではなく自然なこと。
それどころか、その肉体を維持するために口に入れるものなど、ある意味、なにを食べたって汚れるに決まっているのです。
それでも、この世界のものをなんでもいいから口にすること。
「生きる」ことはそこから始まる。
「生きる」ことは、それ自体が汚れ仕事だから、別に、それでいいんです。
だから一生懸命掃除するし、綺麗に保とうとするし、大事にすればいい。
泣きながら、それを受け入れてゆくことは、自分の人生や生を受け入れいく上でとても辛いこともあるかもしれません。
でも、身体を持って食べることや、わたしたちが選んでやってきた
この世界での喜びを受け入れていってほしい。
汚して洗って、汚して洗って、汚して洗って
それで気が済んだら、寿命がくれば、心配しなくてもお空には帰れるんだから。
千と千尋の神隠し、いい映画です✨

世界中に愛と癒しが行き渡り、みんなが支え合って生きてゆけますように💕



