ししゃも三つ葉です。(渾身のお茶漬けの夢⇦で美味しすぎて名前を改名したMai)
日本食が超絶下手な三つ葉なのですが、その後、ちまちま研究を重ねていって、なぜ日本食が難しいのかの仕組みがだんだん解明されてきた。
なぜみんなどうしても出来合いのつゆに頼ったり、化学調味料の味に慣れきっていたり、時短!簡単!10分でつくるなんとかレシピ!!!というのに傾倒するのか。
だしをとったり、市販のしょうゆや出汁醤油などを数本駆使して
いろいろやってみたわかったことがある。
それは、
ぱっとシンプルに、オリーブオイルとガーリックと良い塩とトマトがあれば完成するような、イタリア料理のように、作ろうとおもうと、
「塩」だけの欧米の味付け(もちろんその代わりハーブやスパイスを使う)に比べて、
日本の料理の基本の味付けは、
まず出汁だけで 昆布、かつお、にぼし、しいたけ、あごだしなどなど
しょうゆ⇨一体全体何種類あるのかというほどの種類
だしじょうゆ⇨上に同じ
みそ⇨愛知県は赤味噌 それ以外は白味噌 味噌だけで5種類くらい常備しておかないと色々作れない
この時点でもう
複雑怪奇極まりない
のである。
そして、それをすべて駆使して配分など覚えて作ろうとすると、
いやそれ料亭開けるわ。割烹開くわ。ってレベルにいかないと、美味しいものができない。
そこでわたしは考えた。
これは、何かに似ている。
そう、それは
日本語
である。
世界で一番文脈が複雑だと言われている、かの有名な言語である。
行間を読む、書いてない意味を汲み取る、主語がなくても察知する、言ってなくても裏を読む。以下略
この言語と、日本料理の共通点、それは複雑怪奇極まりないことなのだけど、
(シンプル好きな発達障害民には悲劇としか言いようがない)
わたしなりに、
この料理をなんとしてでも習得するには?
と考えた。
日本食に、理論を持ってくると世界の学会並みに知能指数が高くなければ駆使できない。割烹料亭レベルに腕を磨かないと操ることはできない。
それでは、一般庶民の我々に、光はあるのか。
日本語知能が平均よりも弱いまいちんにとって、そこに希望はあるのだろうか?
(言語知能IQが低いMai→英語は得意というメリットも)
そして、まいちんなりに出た格となる結論がこれである。
それは、日本の和食を作るときに、レシピやら軽量、経験や知識に頼るのをやめて、
”なんとなく”一本
でいくということである。
この、なんとなく、という文化は、欧米にはまじで存在していない。
なんとなくってなに?ってなる。まいちんもよくなる。
そもそもそんな単語が英語には存在していない。
が、しかし
この日本でサバイヴして生き残り、なおかつ旨いご飯にありつくために
全嗅覚を駆使すべきだと思ったこと。
それは、もう一度言う。
”なんとなく”
である。
まだまだレベル低めの三つ葉ちゃんの和食。
ここに光は差すのか。
乞うご期待
なんとなくがすべてで作った肉味噌だいこん。
焦げ具合とかが、まだ初心者感を醸し出してる。
もちろん三つ葉オントップ✨