Fourth of July(7月の4日)というなまえのバラの苗を買ったのは、1年くらい前なのかな。
そのときはまだ、もっと小さかった。
去年の秋口に潤が来たときに、土を替えろと言われたあと、わたしは渋々ひとりで重たい苗の土を変えた。潤は生物を生かすことに長けているひとで、動物の解剖をしたりとか育てたりとか、植物を丁寧に育てるのが上手だった。
データ上、死なせないといけいない細胞をなぜか潤が扱うと生気を取り戻してしまったりして、研究上苦労していた。
彼にはそういう不思議なちからがあった。
その頃、いくつか季節をまたいだバラの苗は、花をつける気配はまったくなくなっていて、やっぱりわたしには、バラを育てる育てる力量なんてないし、そもそも苗を買った時点で、枯らしてしまってもしかたないし、潤が育てればいいのに。とどこかでずっと思っていた。
冬の間葉を落とし、右も左もわからないまま、わたしは独りで土を植え替えることにした。
重たい腰をあげて、めちゃくちゃ嫌だったが、でもなんか、ここで独りでがんばることができなければ、もう二度と潤には会えないような、そんな気がしたんだよね。
あれから数ヶ月が経ち、春がやってくると、さびしそうだった枝には、ぐんぐんと葉が茂ってきて、なにをしたわけでもない、ただ土を替えただけなのに、いのちの息吹をどんどん取り戻してゆくようだった。
ある朝に、つぼみができていることに気づいて、どうか、どうか咲きますようにと願った。
何度か、バラの蕾ができたのに、そのまま蕾のまま枯らしてしまったことがあるわたしには、どうしてそれが咲かないのか、どうしたら咲くのか、よくわからなかった。
多年草(一年で終わりではなく毎年咲く花のこと)が、買ってきたときだけ咲いていて、そっからは一切花をつけない、というのはよくあることだ。
きちんと肥料をあげたり、冬越しや植え替えの手入れをすることで、その命はどんどんと拡がりを見せていく。
わたしはどう考えても一年草向きで、複雑なプロセスが苦手なの。
4月11日に、つぼみができた7月の4日。
4月14日。毎日毎朝、おはよう、愛してるよ、かわいいよ😍と声をかけて、咲くように応援したつぼみ。
4月16日。水に濡れた蕾から、花びらがこぼれはじめる。
マーブルの色なので、半分枯れてるように見えて、ほんとうにこのまま開かないんじゃないかとヒヤヒヤした。
4月18日。ふくらんで、いまかいまかと咲く前のつぼみ。
他の枝にも、やまほどの蕾ができていて、心配になった。
そんなにたくさん咲くのか、それとも切り落とさないといけなのかがよくわからなくて、うろたえた😅
今朝、外の空気を吸おうと玄関を出ると、ハッとする。
開いた。
咲いた。
間違いなく、咲いてる。
花が咲く瞬間というのは、ものすごく突然やってくる。
こうやって時系列順に見ると、すこしづつ蕾がふくらんで、突然じゃないように見えるんだけど、そうではなくて、なんていうか、
ひらく直前までは、ものすごい忍耐強いかんじの、時間の流れ方なんだよ。
ゆっくり、ゆっくり、それが時が満ちるまでエネルギーを蓄えているのがわかるんだ。
それが、あるとき咲く瞬間は、突然爆発するの。
ちょうど赤ちゃんが、ずっとおかあさんのお腹の中にいて、その間も刻々と育っているには違いないけど、生まれた瞬間は、この世界に命が開いて、卵がわれてひよこがでてくるみたいな。
花が咲くときっていうのは、そういう時にとてもよく似ている。
だからすごくびっくりするんだよね。
そして、なにか夢が叶うときも、すごく似てる感じがするなあと思った。
あれが欲しいなあってずっと何十年も祈っていたことが、叶う日って、すごい突然来るの。
目に見えない場所ではもちろん、コツコツ準備がなされてて、それは叶うまで育まれているんだけど。
でも、あ!って目に見えるかたちでわたしたちの前にそれが
あっけないくらいにパッと現れるとき。
それは、今朝わたしが見た、バラの花が突然咲いたときのように、びっくりするんだろうと思う。
すこし前に、場所を玄関にうつしたFourth of July(7月の4日)。
7月の4というのは、日本では馴染みがないけど、アメリカでわたしが一番好きな祝日、独立記念日のジュライフォースだった。
毎年その日にニューヨークでは花火(Fire works)が上がり、ハドソン川の堤防でずっと永遠と、その世界の果てまで続いてほしいよな、美しい夜を眺めた。
アジアの蒸し暑い夏とは違う、爽やかなその初夏の入り口の気配は、アメリカ人全員に愛されていて、最も情緒のある日のひとつで、わたしもまた大好きだった。
バラにはものすごい数の種類といろんなロマンチックな名前があって楽しいけど、7月の4日を見つけた時、これはわたしのためのバラだ。とそう思ってすぐに家に持って帰った。
あれから数年。
4月20日に、まいが自分の手で咲かせた7月の4日は、今日のこの独立記念日を祝福してる。
潤がいなかったら、わたしはきっと、ひとりでこんなふうに幸せに、力強く立てなかった。
力強くて凛としていて華やかで、まるで、毎年楽しみにしていた、冷たいアイス片手に眺める、ジュライフォースのファイヤーワークスみたいだ。