2020年9月12日分再投稿(編集済)
2024年7月28日分再投稿
変容の時期は、毎晩日替わりで必要な香りを使いながらヒーリングをします。息子も自分も周囲の人々にも。
香りにまみれた生き方をしてます。作るので、当然ながら日々嗅いでいます。
こんなにいい香りをいろいろ作るんだから、本当に好きなんだろうと思われるかもしれません。
でも実はわたしは香りをあんまり使わないというか、自分のために使うというかは、人のためにじゃんじゃか使う、という感覚がします。
いつもいつも、癒し業務をしながら人の幸せを祈ってきた中で、どうしたら人々の中に気づきや癒しが効率よく、苦しくなく、スムーズに起こるだろうと毎日毎日考えてきた結果、香りが生まれたり、人々の本質や浄化された気づきと愛のエネルギーに触れるたびに美しいイメージを受け取った結果、絵が生まれました。
1人だと、何もない世界にわたしは生きていて、なにもない真っ白か真っ暗な場所の中にいます。
多分、みなさんの想像を絶するほど何もない世界です。
これまでたくさんの事に携わってきて、制作や表現をしながらつくづく思うけど、本当にサスティナブルでいたかったら、それは自分のものにしてはいけない。
香りを作りたかったら、香りに飲み込まれては作れないです。
素敵な絵を描きたかったら、素敵な絵を描こうとしたら描けないです。
それで思い返すと、わたしは昔から、菓子を作るのが好きだったんだけど、中学生とか高校生のときに実験のように何かを作っては学校にもっていってみんなに食べてもらってました。自分では味見する程度で十分で。
タオ氏が1年生の時、はじめてホテルのアフタヌーンティーにいって、死ぬほど幸せな時間で最高だったんだけど、家に帰ったあと、深夜に全部吐き戻して、夜に飲んだビールや高級な牛肉とかが全部消化できなくて吐いたんだよね(笑)
たんに疲れがたまってたというのもあるんだけど、元々わたしは本当にシンプルなものしか食べなれないというか、食事というのは、栄養とか身体に取り込まれる以前に、記憶や情報の処理をしています。
それが追いつかないのです。
小さい頃から食い意地が死ぬほど張っていて、本当に世界中のものを自分のものにしたいくらいに食べることが好きで、NYで食べ歩いて、でも動物性のものとかさほど食べれないのね。
菓子を焼くのも、料理をつくるのも、食べることが好きで好きで死ぬほど好きで、でも食べれないから、どうしたか。
作ることになりました。人のために。家族のために。
ほんとうこの人生、すべての活動がきっとそうやって回ってたんだなと思って。
息子とはじめていったアフタヌーンティーは、「こんなにも幸せな時間があるんだ」と思うような時でした。
みんながこぞってホテルで食事したりおしゃれなアフタヌーンティーに行ったりするの、素敵なご飯を写真にアップしてるのとか見て、いいなァ、楽しそうだなといつもいつも思うのに、ほとんど行ったことがなくて、いきたきゃいきゃいいのに、行けなかった。1人じゃ食べれないから。
それで、息子がすごくすごく美味しそうに、幸せそうに、たくさんかわいい宝石みたいなデザートをキャッキャとコメントしながらたいらげてくれて、わたしは横で、まるで自分がその幸せを味わっているみたいな錯覚に陥りました。
なんて幸せなんだろう。
こんなかわいいものをめいっぱい、大好きな人と食べられるなんて、って。
わたしは半分も食べなかったけど、それではっきりいろんなことがわかって。
自分がそれをほとんど持たないから、わたしはそれを生み出すのだと。
不思議なもので、好きだから自分のために作る、
わけでないからこそ、与えられることがあるんだと思います。
わたしは、好きだけど、持てないので、作って外に出すことで
まるで自分がそれを楽しんでいるような気持ちにさせてもらえる。
香りのある生活や、美味しいものや、おしゃれなものに溢れている生活に憧れるんです。
本当に。持たないから。
おなかいっぱい、甘いものを食べたり、おなかいっぱいいい香りを嗅ぐかわりに、それを自由に楽しんでいる豊かな人たちと一緒にいるのが幸せです。
わたしは唯一、どこまでも山ほど飲める世界中のいろんなお茶を飲みながら、これから美しいものや美味しいものを、誰かのために作り続けられたらいいなと思う日でした。