難しいからできない、
のではなく
て。
なにがどう、難しいんだろう?
いつも必ず、そうやって考えること。
難しいのに、きゅうくつな中で我慢して枠の中に合わせるのは結局、限界があるんだ。
あるひきっとそれは、かならずできなくなるときがくる。
でも、
「なにがどう、難しいんだろう?」
といつも必ず考えて、
その難しい原因のところだけを取り除いたら
わたしたちはものすごく、ものすごくできることが無限に増えるんだよ。
そしてそれは、わたしたちに豊かさと希望と、自信と、大好きと喜びを与えてくれる。
ごはんを食べないと言っていたお母さんが、わたしがおにぎりを差し出したら食べるんだよ。
辛いものを食べなくなったと言ってたお母さんが、ある日カレーを持っていったら、「ちょうどカレーが食べたいと思っていた」と言って食べるの。
そしてバラけたおにぎりを、お椀に入れてスプーンと持っていったまいの妹。
遠目から、(あー、多分、おにぎりがいいんだと思うんだけどな。)と思いながら黙ってみてると、
やっぱりお母さんは、「おにぎりにして」と妹に言っていた。
できない理由は、それ自体が嫌なんじゃない。
何かもっと、とても小さくて、ほんの小さな工夫をするだけで
それだけで、食べられたり、できたりすることがほとんどなんだ。
ごはんは食べれらなくても、おにぎりにすれば食べられるとか、
丸いおにぎりだと難しいけど、三角にしたら食べれるとか、
大きさを3分の2にしてみるだけで、食べられるようになるよ😊
「え、同じじゃん、面倒くさい」と思うかもしれない。
でも、違うんだ。
難しいのに、きゅうくつな中で我慢して枠の中に合わせる生き方をずっとしてきた人たちは、
(もともとの自然なかたち)が見えなくなる。世界も、自分自身も。
でも、「なんか嫌だな」って思うことは、いろんな場面で、あるじゃない。
だから、毎日毎日、
なんか変だな、なんか嫌だなって思ったら
苦しむ代わりに
「どこがどう、自分は嫌なんだろう。」と考えてみること。
じいっと近づいて、じいっと見ていると
それってすごく、ものすごく些細なことだったりするよ。
え、こんなに簡単に解決できたんだ、
長年我慢してたのに、、、
って思うこと、いっぱいあるよ。