6-9に8歳を迎えた息子。いろんな意味でわたしもタオくんも、節目を迎えている6月の半ば。
ところで根本的に、
その岐路の向こう側は、自分で全て選べると思った方がいい。
この間パートナーシップの相談のときに
「5年、ここからまた変わるか別れるかどっちかだね、」
とそう言ったのは、なんというか「別れる可能性があるよ」という意味ではなくて、
【それを続けたいのか手放すのか、それは全部自分次第だ】という意味だった。
乗り越える道を選んでも、あきらめて別の道を行くことを選んでも
そこには正解は無いということが言いたかった。
何かがうまく、行かないと
それはまるで、自分の思う通りにいかずに選ぶも何も、選択権すら無いように感じてしまうかもしれない。
それはすべて、相手が引き起こしていて、自分を苦しめているように見えるかもしれない。
でも違うんだよね。
何かを選択する、という時は、その場所をきちんと乗り越えて行かなければいけないことを指すことも多くて、どちらへも行けないことを指すのではない。
何を選んでも、最善にすることは自分次第で可能だ。
それは胸が苦しくなるような愛のレッスンかもしれないし、一見失ったように見えたり、一見面倒なことのように見えるかもしれない。まるで選択肢がないように感じたり。
でも、それはひとつのサインであって、「成長するときだよ」のしるしかもしれない。
そして”自分が未来を選ぶことができることを知っている”、というのは全ての面において絶対的に私たちを支え導く。
そういう意味で言えば、愛する人というのは、失うことがない。
それはただの学びであって、誰かを愛したり愛されたりすることは、時々踊り場で休憩を挟んだり、変化を必要としても、なお永遠に続いている。
だから心配せずに、目の前に起こったことを
まず、くぐり抜けるか引き返すのかを
選ぶといいと思う。
がんばってとは言わないけど
それが平坦で簡単ですぐに理解できるよとも保証はできないけど
でもわたしからひとつだけ言えることがあるとすれば、その向こう側には、叡智のようなものや、聡明さや、世界が調和に向かうためのリーダーシップが存在している。価値がある。
最後に結局、手にしたかった何かが例え失われたとしても、気づきやより高い次元からの視点を得ることに、変わりはないから。
人生はときに本当難儀だよね。
成長したらした分だけ、それまで欲していたものが外れていったりするものだから。
欲しかったものを諦めねばいけない時が、まさか自分が上がるときだったりするものだから。
そしてくぐりぬけて自分が然るべき場所に足を下ろした時、そばに、同じようにパートナーがいてくれることももちろんあって。
そういう関係はまた、この先もさらに信頼やつながりを濃くして続いてく。
その選択を自分の手でしたいと思ったら、怒りや恐れや悲しみは、連れて行けないよ。
過去の感情や繋がりを阻むすべてを晴れやかに手放して、
視界が明るくなりますように😃