わたしたちの潜在意識とか魂の目的っておもしろいもので、さいしょから教えといてくれたらいいのに、いろいろやってしくじって最後あとから、「なんだ、こういうことだったのか」ってわかることってすごくたくさんある。
人生はほんとうにびっくりばこみたいなもんで、人には2種類いて、
そのギフトが詰まったびっくり箱をおそるおそるでいいから、開こうと最後まで諦めない人と
そんな箱は最初からないとする人
があると思う。
そんな箱がないものとして生きることを、わたしは昔否定していたと思う。なんのために生まれてきたのか、ひとには必ず(大それた意味ではなく)その理由があるから。
でも、そういう人生は人生で、よいのかもしれないと最近は思う。
びっくりばこを開けて、それを開いて、何かを確かめて、ひっくりかえりながら体験していくのは、とてつもない輝きや喜びがついてくると同時に、チャレンジもたくさんあるから。
わたしたちは、自分でほしいと思っているものや、自分には何もほしいものがないと思っていることと
本当のきもちが全然違うことがよくある。
いつもみんなを見ていて、苦しい原因になっている部分を探すと、それは本当にほしいものじゃないんだよ〜、あなたの本当に望んでることはコレなんだよ
とか、何もほしくないと言いながら、そんなにも強く愛を望んでいるじゃない、と思うこともある。
自分もまた、「なんだ、わたしはこれが体験したかったんだな」って後から思うこといっぱいあって
その全ては、おもいどおりにならないことも含めて、最後には大きく「叶えたかったこと」に昇華されてゆくのだとおもう。
なにかがうまくいかないときに
自分はなにを、体験したいんだろう
と「苦しみ」の向こう側にあるなにか小さな煌めきのことを思ってほしい。
あなたが体験したいのは、地獄じゃないはず。
その向こう側にある、なにか、とてつもなく大切な、自分にとってとてつもなく大切で、そのために生まれてきたみたいな
ちいさな希望がきっとあるはずだから。
そういうすべてのプロセスを、