毎年咲く花で、来年もまた植えようと思ういくつかのお気に入りのなかに、サフィニアという夏の花がある。
季節がおわって葉っぱだけになると、庭を彩ってもらうメインの場所から、来年までの「待ち」の控え室のような場所に移動する。庭の端っこだったり、ちょっと隠れる場所だったり。
まだガーデニングをはじめる前に、先輩たちの人々の家を通りがかると、とてもきれいに咲いている場所があるのに、貧相だったり、ボソボソの鉢が混じっていたりした。
せっかくのきれいな庭が台無しだな、くらいにその時は通り過ぎてたけれど、あれは「待ち」の花々だったのだ。
または療養中のものもある。元気がなくなってしまって、でもまだ手をかければ芽が出て花を咲かせてくれるかもしれないものたち。
そういうのは、脇役どころか演出を台無しにしてしまう可能性もあるんだけれど、なお、大切に手をかけるべき存在なのだということを、4年目に入ってようやく理解し始めた。
スペースには限りがあるので、枯れたときに処分してしまうものもある中で、また今年も気づいたら咲いてくれていたサフィニア。
裏方の場所でひっそりときれいな花をつけて、夏の間涼やかに彩ってくれる予感とともに、季節のおもて舞台の場所に移動することにした。
サフィニアというのはペチュニアという夏の花の妹みたいなもんで、春でいうパンジーとビオラの関係にとてもよく似ている。夏のビオラみたいなもんだ。
まだ4月だけれど、小さな花差しに十分なくらいを切った。
久々に再会したせっかくの花を、ほとんどすべて切って、摘んだ。残りはまた葉っぱだけになって、そしてあっというまに控え室ふうの外観になった。
ガーデニングをはじめてまもない頃、わたしたちは「花」に意識が向きがちだ。
花を咲かせる喜びを味わったり、花が咲いている美しさを楽しんだり、そのために面倒な工程をせっせと泥まみれになってやるのだから。
わたしももちろんそうで、花が咲いている間は、それを楽しみたくて、元気がなくなってきたり枯れ始めてようやく切ることができて、花盛りですという時に手をかけることはできなかった。
今日「咲き始めました」というまだこれからフレッシュなサフィニアを、さっと全て切ったのは、リハーサルの次の本番のことをいつか理解し、きちんと知ったからだった。
次々と花をつけて数サイクルの開花を繰り返す花たちには、それを最大限に生かすコツがある。
前にサフィニアを増やすために剪定(必要に応じて切るやつ)のタイミングを学んだとき、
それは、100パーセント限界まで咲きますよ!っていうもっと手前の段階で、潔く切り落とすことを知ったとき、なんとも勇気がいるなあと思ったものだった。
それは、本番の季節にいよいよ花をめいっぱい咲かせるための、リハーサルのようなものだ。
短く切り落とすと、その部分から枝分かれし、1つの茎だった部分から3つくらい芽が出て増えてゆく。
そして小さな株は、まるで3つも4つも株を植えているかのようにたくさんの花を魅せてくれる。
今日サフィニアを切る中、療養する時間や待つ時間は、誰にとっても本当に大切な時間なのだ。
とそう感じた。
花を開かせる時間の裏には、たくさんの待つ時間があって、それはとても尊くて、
時に「あ!開いた!」と思った瞬間をわざわざ切り上げて、次の本番のために切り取ることもある。
ものごとの流れを理解してゆくことは、一見醜く惨めに見えるような時間を、どんなふうに扱って、どんなふうに寄り添ってゆけるかにかかっている。
ぱっと短く切り取られた花の命は、家の中では確かに短いのだけど
外では放つことがなかった芳しい香りを立ち上げる。
切ることで立ち上がる命たち。
また数週間したら、きっと新しい花が咲く。