ひさしぶりに、帽子をかぶりながら外にでて
庭の片付けができた日だった。
寒い日も雪も何度か挟んで、枯れてしまったものもある。
お水をきちんとあげられてなかったものもあったのかもと思って
数年冬越しをしてきた赤いパラソルの花のツルが、カチカチにひからびて茶色くなっていたのが、悲しかった。
短く切って、また春になったら生えるのか、それとももう死んでしまったのか、命はぱっと見ではわからないことがたくさんあるから
短く全てを切って、いまはそこに、まず並べておいた。
辛かった数週間を経て、もういちど太陽のある方角に気付けるようになってきた数日、どうしても解せないことがこの日本には山ほどあり、
日本語のコミュニケーションのことを理解しようと頑張りすぎて
もう疲れ果ててしまった最後
アレも、コレも
手放して
もうどう思われてもいいやと
誤解されてもいいやと
アレも
コレも
満月だと、手放して
そうしてみえてくることたちもあった。
もともと、自分に日本語の文脈を噛み解く能力が備わっていないことや、それは訓練しても難しい部分と
理解すれば不安にならなくて済む部分
いろいろ。
なにせ、わたしは美しいものが好きだし、
それでいて、肥溜めにこの身を投じていつも最後まで
たからものを探し続けるし、やれることはやり尽くし、それでダメなら、しかたないと。
昔もどっかに書いたかもしれないが、
誰かと付き合わなかったり
下品な場所に立ち入らなかったり
仲良くできなかったりするのは
決して、なにかを馬鹿にしたり、見下したりしているわけではない。
いろいろなことが気になり繊細に気づいてしまうのは、生まれ持った性質で、いたしかたないことでもあり、自分なりに世界との距離を一生懸命測りながら、生きている。
わたしは、醜いものが嫌いなのではない。
それに甘えたり、楽したり、卑屈になって
与えられたものを大切に扱っていないことが、嫌なのだ。
ゆっくりでも、不器用にでも、
なにかを大切に扱うことは、できる。
わたしは美女と野獣のお話が好きだし、人は外見ではないとそう思うけど
でもそれは、こころをきれいにしようとするこころ、
が結局は、外見を作るから
外見は関係ない。
でも内側が全部、外に出る
茶色く庭木の葉が落ちている寂しげなハコニワの
侘しいコーナーには、春をまつ球根が植えられていた。
土壌も痩せていて、芽がでるかもわからなかったけどトライした10月から3か月が経ち、いつも庭に一緒にいてくれた人は、居なくなった。
それでも小さな芽は、力強く空へと向かっていて
「ああ、なんだ、やっぱり季節はいつもと同じように巡っていて
わたしの命も、人生も
捨てる神あれば拾う神もきっとあり
今は寂しいけれど
きっと
クロッカスの黄色く愛らしい花が咲く日が来る。」
とそう思えた。
やりきれるだけがんばったなら、それでも無理なら、やめていい。
潔くわたしも、今握りしめてる色々を捨てようと思う。
前へつづく道は、光に満ちている。

世界中に愛と癒しが行き渡り、みんなが支え合って生きてゆけますように💕



