恋人から突然別れを告げられたまもない頃のある週末、
泣いて泣いて不安が止まらなくなったたところに
ふと思い立って、すっくと立ち上がり、わたしはパントリーを漁った。
しばらくグラノーラを焼かなきゃとなぜか思い続けていて、でも山下さんが消えてから
それどころじゃない時間が続いていたあと、急に「今焼く」と思ったのだった。
グラノーラは、パンにバターを焼いてトーストするくらい気軽にできる。
焼く前のグラノーラ。
オーツと小麦粉、油と砂糖とメープルシロップと。塩とシナモンを少々。
すきなナッツとドライフルーツ。
わしゃっと混ぜて、オーブンで焼くだけ。
(間違えて最初にドライフルーツ入れちゃって焦げてしまった)
昔料理教室を開催したときに一度みんなで作ったこともあった。
久々すぎて、少々焦げたグラノーラをひと口、口に入れた瞬間に「あれ」と思い
ホロホロと何かが、自分の内側で崩れてゆくのがわかった。
そういえばわたしがいつも料理を作っていた頃、自分の作るものは、美味しいものや華やかなものや特別なものではなくて、なんていうか「癒されるためのもの」だった。
もともと料理を始めた動機が、こころをなんとか立て直したくての食事療法とか
「癒し」だったから結果そうなったのかもしれないが、自分の作るものは未だによく、自分自身も優しく包みこむことがある。
そんなわけで、ときどき何かを焼いたり、それを口にすると、瞬間に浄化が起こることがよくあるのだった。
グラノーラをわしゃわしゃ混ぜていた時は、
「久々に作ったから恋人に食べてほしいなあ、もういないんだ」
と不安がよぎってて、
口にいれた瞬間に何だかアレ?っとおもった。
どうもわたしは、
「美味しいものは山下と一緒に食べねばいけない、と思い込んでいる」
がフワッと気持ち悪く降りてきた。あたまのなかがぐしゃっとした。
それはつまり、「山下がいないときには美味しいものは食べてはいけない」
と思っている、、、ということだよね?
嫌な予感がした。
昔一回、初めて山下が失踪したときに、突然ご飯が食べられなくなって、山下が戻ってきたときに死んでいた味覚が戻ったことがあって
7年前のはなしになるけど
年が明けてからもしかしてわたしはずっと、そんなこんなで
山下がいるときには美味しいものを一緒に食べてよくて、山下がいなくなったら、美味しいものは食べてはいけないと思っていたのではと気づいた瞬間だった。
しかもその理由は、もしも1人やタオくん2人きりで、幸せにおいしものを食べているところを見たら、
「なんだ、よかった俺がいなくても幸せにちゃんと食べてんだな。」
「これで俺はもう来なくていいな」
と思われて、もう2度と山下さんに会えなくなる。
そう思い込んでいたようなのだ。ショック。
しばし混乱し続けて、ツーと頬を涙がつたい、いつもの
食べていい、食べてはいけない、また会える、もう会えない、が頭の中で大錯綜した。
タオくんが戻ってきて泣いていた私をみて、「ママ、大丈夫だよ」と声をかけてきた。
すこし時間はかかったのだけど、結論、、
長年彼に、気づかぬ重荷を課していたことがショックだったこと
長年食べられなかった理由が発覚したこと(山下さんを待っていた)
などが消化された。
グラノーラが胃の中でゆっくり消化されるのと同時に、長年のきもちも、昇華されてく。
そのあと、組み替え直して、
・わたしがひとり(タオくんと2人)で美味しいものを元気で食べていても、食べれずに倒れていても、山下がもどるか否かには関係ない。
・つまり、わたしがひとりで美味しいものを元気で食べていも、山下さんが戻ってくることもあるし、そうじゃないこともある。
と新しい基準ができた。
その後しばらくして、
これまでは、美味しいものをつくると、とにかく山下さんのことを考えることしかできなくて、苦しかったのが
「なんだ、、、、2人で、、、てかひとりで美味しく自分で作ったグラノーラを食べてよかったとは、、、、、、」
と狐につままれたみたいな気持ちになった。それはそれで胸くその悪い気分で、美味しいものを食べながら何回か泣いた。
そして、山下ロスにより美味しいものを食べるたびにシクシク泣いていたのが、長年の呪いが消えてスッと楽になり、
「美味しいな、コレ。」
で終わるように(祝)
山下はこの7年の間で一体何度失踪したのであろう。もう数え切れない。
でも今、また戻ってくる保証はひとつもない。でも、戻ってこない確証もない。
その日を境に、これから
わたしは美味しいものをひとりで食べてもよいことになった。
なぜならそれと山下とは関係なかったことがわかったから。
山下さんと一緒にいると、ご飯が五倍増しで美味しくなる。それは確かだ。山下といると、わたしは命を吹き返す。
人の脳みそは、とても不思議だ。
呪いが解けるときもまた。
長年癒しの仕事をしてて、みんなの浄化や解放が奇跡みたいに起こる瞬間を山ほど見てきてるけど
いまだに自分の中にこんなふうに起こる。
生きてるって素敵だ。
やきたてのグラノーラは、美味しい。
自分でつくるやつは、一番自分の好みの味になるから、塩加減や甘味も、全部きょうは、おもいどおりにピタリできていた。
あさごはんにタオくんと一緒にたべたグラノーラ。
また作って、またいつか山下さんに会えたら、食べさせてあげよう。