わたしが、唯一他のひとと比べて金に糸目はつけないと思ってる自分自身への買い物が、
お茶とストレート果汁のジュースだと思う。
ブランドものも買わないし、友達と遊びにも行かないわたしにとって
それはそれはとてもささやかだけど、
良いお茶と、ストレートの果汁のジュースだけは、自分の身体に入れるにとても、価値があると思ってるんだろうな。
みんなそれぞれ、これは高いのを買えるけれど、これはケチってしまうってのがあると思う。
そんななか、ストレート果汁のジュースは小さな瓶1個500円でも買えるのに、不思議と生のくだものは、桃たった1個でも自分へ買うことが少ない。
ものの価値や価格というのはとても不思議なもので、フランス、中国、ニューヨークと暮らした身ではそれぞれ当然ながら物価が全然違う環境のなかで生きてきた。
アメリカで長く暮らした中で一番よかったのが、野菜や果物がオーガニックでも思いきりむさぼるように食べられる、その環境だったと思う。
ニュージーランドもそれに近いものがあり、小ぶりのりんごや洋梨が、とにかく美味しくて山ほど手に入る。
そうしていろいろな場所でものの価値なんかを濾された後日本で暮らすと、
自分の基準にとってきっと、果物は(すくなくて美味しくなくて高い)と感じるのだと思う。
自分のために果物はあまり買えないけれど、愛するひとたちにはうんと食べてほしいから
誰かが食べるために、いつもそれを買って用意する。
おもうに果物というのはきっと、日本の多くのひとにとってそういう存在なんじゃないかなと思った今日。
もちろん自分のためにジャブジャブ買って食べるひとも中にはいるだろうけれど、自分には買わないけど、子供のためにいつも高いイチゴを買うおじいちゃんおばあちゃんや、好きなひとのためにたくさんの果物を買ってくる恋人や、
愛する家族が食べるために、季節の果物を買って用意する喜びのこと。
この夏わたしは、そんな中でたくさんの旬の果物をたらふく食べさせてもらえた。
自分で自分に買うことができない代わりに、山下さんが来るたびにたくさんのくだものがテーブルに並び、彼のために皮を剥き、そこには自分も居て、同じものを食べることでとても、豊かな時間を過ごした。
一年に一度、小さなひときれを食べられたらラッキーくらいの高級なメロンをボンボンボンと机に置かれたけれど、それもまた自分にはもったいなくて、ありがとうと言いたいみんなに渡してしまったから、ひとくちも食べられなかったけど、嬉しかったなァ。
そんなふうに思っていた矢先、帰省した土産のなかに山下母経由でUターンして戻ってきた熟したメロンは、思わぬかたちで最後、ほとんど私の胃の中に収められて
自分にとっては最高にうれしいぜいたくな夏だった。
スイカジュースは毎日飲んでも全然飽きないくらいに美味しくて、少々の塩とレモンのゴールデンバランスも見つけたわたしは、この先またスイカが丸ごと家にポッとやってきても、じゃんじゃん消費できる自信がついた。
お茶と果物ジュースでルーティンされる、ひとりの端正な日々は
愛する人との食卓で、10倍にも100倍にも豊かに、愛に満ちたものになる。
もともと自分のためにご飯を作るのがとても難しいわたしにとって、ひとのために料理をするしごとは、同時に自分に食べさせるためだった。
いまでもそうして、
息子のお弁当や、恋人との食事や、家族に菓子を焼くための時間は
自分が生きるための、とても大切な意味を持つのだと思う。
くだもの【愛】いっぱいの、素敵な夏をありがとう。
スイカジュースはミキサーで撹拌したあと種を粗いざるで濾す。
ほんのすこし塩を入れて、レモンを絞る。
レモンが決め手。これがないと、ただの甘い汁になって、飲めないんだよ。
作りたても良いけど、一晩冷蔵庫で冷やして上みたいに分離したのを混ぜて、朝イチでクイット飲むよ。
作りたての場合は、作ってる間に温くなっていくから、大きめの氷を1個浮かべて。
また来年暑い日が来たらやりたい。