昨年発達障害がわかってから約1年が経過し、ほとんど両親と話さなくなった。
正確にいうと、話して話して話して話して、誰もが諦めたというほうが正しい。
家族だから、自分の親だから、
【わかってほしかった】【理解するのを諦めないで欲しかった】を手放して、今大切にし合える家族以外の関係を大切にすること。
血のつながりは、何かを絶対に結ぶものではなく、この世界に生を落とした時点でやるべきことを完了している場合もある。
わたしの両親は、普通の人たちだ。わたしのような娘を1人持っただけで、どれくらい大変だったろうと想像は計り知れない。
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そうはいっても絶縁しただとか、わだかまりやシコリを残して苦しいとか、そういうことではなくて、温かく受け入れ最善を尽くす形で、今はなんとかそこに少し遠い「家族」がいる。
8月はお母さんの誕生日で、猫が失踪して発見されたりお盆があったりと、いつもせわしない。
過去はお母さんの誕生日プレゼントを買いに走り回ったり、なんとか喜ばせようと頑張ったこともあったけれど、今年からはひっそりとケーキを焼くのが定番になりそうだと思う。
お誕生日のケーキというのは、みんなそれぞれ好きなケーキを聞いて焼く。
息子だったらいちごのショートケーキだし、わたしのお母さんだったら、昭和のバタークリームのケーキ。糖尿で甘いものは食べちゃいけないけど、よくこっそり好きなあんことかを食べているので誕生日くらいはいいかなと思い、今年は初めて作ることにした。
スポンジを焼いて、間にいちごジャムを挟む。
生のいちごとか、フレッシュなものを使わないのが昭和らしさ。
サンドイッチにしたあと、バタークリームでぐるっと囲う。
バター、パンには塗るけど、これが美味しいとあんまり思ったことないわたし。
どうにも牛の油だよなあといつも思う。
バターサンド的なお菓子とかも、胃にどしっと来て苦手なわたし。
冷やしてバターが固まったら、チョコレートで今度囲う。
これチョコを流してく間に、どんどんバターが溶けてきて、凄い不恰好になったやつ。
バタークリームの上のチョコレートコーティング難易度高いなあ。
見た目は美味しさどマイナス100くらいの外見だけど、初めてだし、飾りもなにもないのが今年らしいと思った。
実家の玄関で、ケーキを渡した時のお母さんの顔。
(チョコレートのケーキ嫌いなのにな・・・)といううっすらそう感じさせつつも、「ありがとう」と喜んで見せた母。
あと何年くらい彼らと歳を重ねて、そして両親がいつか死ぬんだろう。
まだまだ先は長い気もするし、とても短い気もする。
誰かが生まれた生を祝福する日。
それはこの世界に生きとし生きるすべての存在に、平等にふりそそぐ。
冷凍してあったのを今日味見したけど、素朴で、ボソボソっとして、甘くて、美味しかった。
とても(すごいクオリティのができた✨)と感動するレベルじゃないけど、なんていうか、ああ、大好きなお母さんのために、がんばって作ったケーキだなあっていう味。
こういうのも、たまにはいい。
また来年も作ろうかな。