ことしのお盆は、かぞくの集まりも墓参りもない。
山下さんも帰省していていないし、とにかく静かに息をひそめるようにして、ひとり、苦手な祝日が過ぎ去るのを待とうと、ずっと気を張り緊張していたお盆だった。
それが、予定よりも早く帰ってきてくれて、週末に時間を作ってくれた山下さんが
コオロギ事件後に飛んできてくれて、
「いっぱい持って帰ってきたぞ」と
青森から大漁のおみやげを運んでくれて、冷蔵庫と冷凍庫はぱんぱんになった。
彼が戻り、おおきなクーラーボックスがどんとリビングに置かれて、
「うわあっっなんだか、家族がいるみたい」と涙がうるうるになった。
山下家の米に、巨大なスイカとかぼちゃ、新鮮なほたての刺身やサザエや、贅沢に冷凍されたメロンやいくらやめんたいこや、嶽きみの甘いとうもろこしたちがあれよあれよと机のうえに並んで、
(ほれ)とわたしの口に放り込まれたメロンは、甘くて完璧に熟していて、冷たくて、最高に幸せの味がした。
いつもいつも山下さんから話を聞いていた山下母のオリジナルおにぎりや惣菜が並び、
【これがおかんの味だ】と食べたおにぎりの中には、一見シャケとおもわれる具。
ところがそれが、シャケではなくマスという高級な魚らしい。
徹夜で運転してきたあとに、目がじゃっかん赤いまま颯爽と台所に立って、
持ってかえってきたしじみの袋を取り出して、
「しじみ汁をつくってやる」と調理するさまは、まるで小さな台風が台所に降り立ったみたいだった。
山下母のマスのおにぎりは、食べれば食べるほど美味しくて、私の家に最初山下さんが握って持ってきてくれたおにぎりと、同じサイズで、なるほどいつもいつも、彼がお母さんのご飯が美味しいと延々言っていたのが納得できる、握り方だった。
まんまるで、大きくて、ぐるっと海苔で囲ってあって、それなのに、野暮じゃなかった。
そんなお母さん譲りの彼の作る汁物はまた、いつも本当に優しい味がして、昔弱っていたときに作ってくれたあら汁もとっても美味しかったけど、
そのひとの人柄がそのまま味に出るよな、と思うような味になる。
台風みたいに届いた食材を解説つきで食べて食べて、眠そうなまま
「ライムある?」とビールを一本開けた山下さんに、
(おつかれさま。)と想いながら一息つく彼の背中に抱きついて、
一仕事終えたようにして、午後中すやすやと眠っていた山下さんだった。
昔から、彼がいなくなる瞬間に、食べ物の味がわからなくなることが何度もあった。
数日前に実は同じことが起こって、【ああ、上手に食べれない😂】と不安に感じてたのだけど、彼が戻り、この週末ですっかり食欲と味覚を取り戻して、
こんなにも身体が左右されるひとがいるんだよなあといつもながらに思うのだった。
夜は、たおくんが花火をやりたいと言ったので、家の前で古くてずっとしまってあった花火をやった。
たったひとりで静かに何事もなく過ごすことを目標にしてたお盆が、優しく暖かい、家族の温もりに満ちた時間になった。
いろんなことがありながら、毛布に包まれるみたいな愛の時間。
優しい。