予防接種だとかワクチンを打つか否かという質問をこれまでもたびたびいただいてきて、今日またいただきました。疑問に答えつつ、思うことや本来こんな感じかなあと思うことを書いておきます。
”予防接種は受けた方がいいですか?”
”マイさんはどうしてますか?”
”やっぱりワクチンはやめた方がいいですか?”
こういう質問を過去にも色々いただいてきた。
結論から先に簡潔に述べると、わたし自身と息子に関しては、ワクチンとか予防接種的なものは一切打たない、という方針で生きている。
いま息子のタオくんは小学一年生で7歳になるんだけど、わたしの(しょぼい)記憶が確かならば、生まれてから一度も注射を打ったことがないと思う。
最近わたしの元にも、コロナのワクチンの予約票が送られてきたので、もし希望して出向けばおそらくワクチンを打ってもらえるのだけど、いまのところ打つ予定はない。
小さいころに、保育園などに上がるたびに母子健康診断の予防接種の欄が空欄だったことで、繰り返し先生に「予防接種は打ってないですか」としつこく聞かれたり、小さいころは健康診断に行かなかったことで保健所の人が繰り返し家を訪ねてきて、居留守を使って面倒な思いはしてきた。
幸い、「打ってきてくださいね」と言う先生はいても、無理矢理押し付けてくる人はいなかったのでそのままになってる。
これまで生きてきて、医療だとか薬への認識だとか、そういう予防接種的なものへの意識を、いろんな国をまたぎながら自分なりの「正解」を取り込んできて、最後
「そっか、これは要らないやつだな。」と着陸したのは、妊娠していたときに検診に行っていた産婦人科主催の講演会だった。その産院は自然出産を謳っていて、食事だとか色々なものがナチュラルということで、全国からそこで産みたいと人が集まる人気の場所で、わたしも半分無理矢理診察をしてもらってたんだけど。
(臨月で紹介状を書いてもらってニュージーランドに行ったので、そこで産んではいない)
ちなみに講演していた先生は、わりと過激派(?)というかまあお医者さんの中では異端児的な扱いの先生で、乳製品なんか取っちゃだめ、薬なんか絶対飲んじゃだめ、予防接種なんか君たち死ににいくの?みたいな感じで活動してる人だった。
日本に帰ってきて当時まだ間もなかった私は、自分が直前までアメリカのニューヨークのベジタリアンの世界という特殊な場所で何年も培ってきた価値観や正解が、どこまで今後の日本に通用するか、どこまで今後、自分の生まれた国にアプライできるのか(種を持ち帰り、日本の土壌に取り込んで耕していけるのか)を知りたかった。
なので、自分にとって何か迷いや答えが必要だったというよりかは、日本のそういう「自然に生きる」「ナチュラルライフ」的なコミュニティや界隈において、どの程度の認識をみなが持っているのかという現状を見に行ったのだと思う。
たとえば私はすでに「乳製品はまあ取らないに越したことはない」という長年の経験からの答えは自分の中には持っていたけど、まだまだアレルギー以外は拒否する権利のない日本の社会の中で、今後保育園やら小学校に上がった時に、どう説明し、どう理解してもらえ、その権利を守ってゆけるのか?という解決策はまだ持っていなかった。
または今後、もし日本に戻ったあとは、そこを耕していく人生になるのだろうと言う薄い予感はアメリカにいたころから持っていた。
なので、その時も自分なりに、何かしら専門家の出した科学的な数字だとか考察が必ず必要になるし、役に立つに違いないと思ったのだった。
すごいぼやっとした記憶で申し訳ないんだけど、その先生が予防接種やワクチンに関してのハナシをしてくれたものを要約すると、
「打ってどっかが悪くなったり何かの拍子に死に至る確率(打つリスク)」と、
「打たずして、病気やら何かに感染し、そして具合が悪くなり死に至る確率(打たないリスク)」
は、むしろ打ったときのほうが高いくらい。
というようなものだった。
もしも自分でいろんなお医者さんが書いた本を読めるなら、もうちょっと納得するような、証拠になる数字や確率も乗っていると思うので参考にしたらいいと思うのだけど、
わたしはそれを聞いてとりあえず、自分自身と今後息子に関しては、
「打たないつもりだけど、こんだけ大多数が「打つ派」の場所で大丈夫かな〜」
(↑肉体的・病気的に打たずに不安というよりかは、社会の一員としてマイノリティとして押しつぶされたりする勢力に太刀打ちできるか?の心配)
から
「そっか、じゃやっぱり要らないな。なんか言われたらこのお医者さんの先生のハナシをすればよい。」
に変わって今に至る。
だって、結局打っても死ぬかもしんないし、打たずしても死ぬかもしんないなら、とりあえずは痛いおもい(注射)が一回でも少ない方が得じゃんね。