ものを大切にすることを、うまれて間もないときから子どもに教えてきて
今、だいぶそれができるようになってきたと思う。
物を大切に扱うことと、執着が違うことをずっと練習してきて、意地汚くしがみつくときにはかなり厳しく言ってきた。
その代わり、ものがどんなふうに扱われたら嬉しいか、
「こうやって、こうやって、こんなふうにされたら嬉しい?」と、身体をぎゅうってつねったり、粗雑に触れて、嫌がる本人に
「モノの気持ちになってみて、どう?」
と、実際自分がどんなふうにモノに触れてるかを教えた。
文字通り、どんなふうに持ち上げて、触って、使うときに丁寧に扱って、という部分もだし、
必要なくなったときに捨てたり、要らないものを執拗に欲しがらないこともまた、「ものを大切にする」ということだ。
「ものを大切にできる」というのは、そのまま「豊かである」と言い換えることができる。
良いものは、大切にしてくれる人のところに必ずやってくるし、
お金や美味しい食べるものも同じことだとそう思う。
誰かが何かを大切に扱ってると、そういう人に、良いものをあげたくなるよね。
ああ、この人ならきっと、この良さをわかってくれるだろうとか、きっと大事に扱ってくれるだろうとか。
なにかを愛したら、その分だけそれは自分たちの人生に与えられる。
可愛いものも、美味しいものも、お金も、身体も美しさや命すらも
大切にした分だけ、たくさん人生にもたらされて、わたしたちはどんどん豊かになっていく。
そして、これが重要だと思うんだけど
世界は本当に鏡になっていて
自分が、目の前のものを丁寧にちゃんと扱うことができると
自分自身もまた、みんなからそうやって扱ってもらえるんだよね。
ママやパパがそうやって生きてたらきっと、こどもは肌でそれが素敵なことだってわかるから
まずは自分たちが、いらないものに囲まれて過ごしたりしてないかちゃんと見て本当に身の回りのものを大事にできるといいよね。
ほいくえんで使ってた道具にありがとうとさよならするために、撮影してバイバイをしているタオさん。