このまえグリーンブックという映画をみたときに、いろんなことが納得できて、線でつながった感じがした。
おはなしは、いつだかわからないけどまだまだ黒人差別が酷かった頃のアメリカの、一流のピアニストの実話のお話。
淡々と描かれていて、よくある暴力的で感情的なシーンは少ない。
なにかに訴えかけるように、正しさや人の権利や差別について表現する代わりに、とてもささやかで、現実味の溢れた愛が教えてくれるものがたくさんあって、あっと驚くような事件が少ない分むしろ全てがリアルに感じられた。
そのなかで、主人公が人権をないものとされて、酷い扱いをされてトイレを使わせてもらえずに、外で用をたせと辱められる直後に、それを振り切るかのように、その白人の裕福層たちのために完璧な演奏をしてにこやかにお辞儀をするというシーンがある。
それを見た時に、あ。って思ったんだよね。
昔から、何度熱があろうが、直前まで屍のように過ごしていようが、なぜかセッションやイベントや講座が始まった瞬間にスイッチが切り替わって、きちんと話せるのが不思議だった。
料理教室の直前まで、混乱とパニックでずっと1人で泣きじゃくっていたのとかきっと、誰も気づかなかったとおもう。
セッションを延期にしてもらうかそのままやるか、一瞬迷うけど、よっぽどのことがない限り普通にできる。
むしろそっちの方が自分にとって、屍から生きた人間に戻れるチャンスみたいな感じで、
きっと映画の主人公もまた、悔しさや怒りやたまらぬ憤りに沿ってピアノを弾くのをやめたら、文字通りその時点でピアニストじゃなくなるんだろうと思ったりした。
そうはゆっても、無理なときはちゃんと違う時間や日にちでお願いしてるので安心してね。😅
昨日は救急車で運ばれて、数日いろんな意味でやばかったのでむしろ
誰かが、声をかけてくれることが染み入るように全て嬉しい日だった。
セラピストとして必要とされることもだし、事情を知らなくてもただ声をかけてくれることもだし、家族の代わりに近所のおばさんが来てくれて、背中をさすってくれたことも。
死んでしまうとそのまま今の現状を伝えたら、1日30分毎日電話しよと即座に声をかけてくれたのは、中国人の友達だった。
海外に長くいた友達も、ただ話さずに電話を繋いでいてくれて、次第に、生きた心地が戻ってきた。
窒息するような時間は、久々に酷かったけれどみんなのおかげで徐々に落ち着いてきています。
何もかもがもう無理だ、とそう思う中で
きっと唯一、わたしがどんな状況でも迷いなくプロスイッチが入る場所。
それが、みんなが癒そうとしている瞬間や
助けが必要な時
苦しさを乗り越えて、何かを見出そうとしてる時
何かを学ぼうとしているとき
本当に誰かがこまっているときだと思うんだ。
その時って本当、考えたりできない。先に、手が出るくらいに助けたい、支えたい、全部を伝えたい、といつもそう思ってきたから。
凛としているのは、ボロボロな自分を隠したり
演じてるわけじゃない。
ただわたしは、セラピストなんだなァ。
いつもありがとう、みんな😊