みんながいっしょうけんめいに何かを乗り越えようとしているときに
わたしはなにをしているかというと、本当になにもしてない。
ただ、祈るように、信じ、見守り、じっとそばで、そこをくぐりぬけるのを見届けるまでだ。
あまりに苦しくておおきな壁にstruggle するとき、わたしたちは
どこにいるのかも、それがどのくらい続くのかも、延々続くトンネルの暗がりのなかで、途方もないきもちがする。
ときに、力尽きてしまいそうになるし、信じきれなくなりそうになるし、もう、こんなにがんばっても
ぜんぶが水の泡になるんじゃないかっておもうといもいっぱいある。
そんなことの連続だから
だから、それが可能なんだってことを
ミラクルが起こるんだってことを
信じ抜ける勇気や、強さや、希望を与えていきたいとおもう。
ちいさくて、いつかよりはズンズンたくましくなる、その肩を
自分の肩にすっぽりおさめながら、
背中をたたき、怖れを出し、乗り越えるための光を送り続ける。
それはたった6歳でも、人生の折り返し地点をまたいだわたしたちでも、同じことだ。
癒しが起こり、人が変わったようにいつかの苦しみが過去に流れ、
あたたかい気持ちで
昔鋭い痛みが走った場所に手をあてるとき
ただ、ありがとう
と思う。
そして、まいさんのおかげだよ
とみんなから言ってもらうたびに、
がんばってくれて、ありがとう
と思う。
わたしの息子はこんなにも、ひっくり返ってるママのために
もてる力を尽くして、周りから「たおくんが可哀想」と言われまくってなお、
本当によくがんばったね、ありがとうと言うと
「ママのおかげだよ」
と言う。
わたしのおかげだよ、と言ってくれるひとたちのおかげで、
わたしもまた、こうして今日も、生きている。