鍵は、信頼だと思う。
この半年、どれほど人々のずさんなコミュニケーションを目の当たりにしてきたかわからないほどだった。
メッキがボロボロに剥がれ落ちて、かれらの本当の姿を突きつけられて
ただでさえ、何度だって人を信じられなくなるような経験を
イヤと言うほどしてきたのに
自分を前にすると
わかりやすいくらいに、ボロが出る
その人の
ひととなり
今日、そのコミュニケーションが本当のものか、メッキか
ぱっくりとふたつに分かれることの根っこにあるもの
それって「信頼」なんだなと思った。
一方的にコミュニケーションを完結させるひとたちと
(それは本来コミュニケーションとは呼ばない。自己満足とよぶ。)
きちんと、コミュニケーションが取れるひとたち。
その違いって何なんだろうってずっと思ってきたけど
それは根底に、相手を信頼しているかどうか。
そして、相手をきちんと信頼できるひとたちというのは、勝手に話を終わらせたり、しない。
訊ねたり、相談したり、提案したりがきちんとできる。
なぜか?
それは、自分のことをきちんと信頼しているからだと思う。
迷ったり、わからなかったり、不安だったり、できなかったり、
そういう自分のことをを、怖がったりしない。信頼する。
迷うからこそ相手に訊くし、わからないからこそ助けを求めるし、
不安だからこそ相手に委ねるし、できないからこそ信頼する。
それが本来のコミュニケーションなのだと思う。
わたしは、相手を信頼していないのではない。
相手を信頼して、その相手が自分を信頼していないから、こうなる。
わたしはそして、障害があるからしょうがない(たおくんの好きなダジャレ)だとか、偏屈だとか、人の好き嫌いが激しいとか、気難しい人間だと決めつけられる。
昔よく
期待を手放して、信頼に変えていく
というテーマでよく話をした時期があったなあ。
今、とても少ないけれど
自分自身への信頼とともに、わたしへの信頼、そして
自分たちへの信頼のもとに成り立つ関係が確かにあることに、奇跡みたいに感謝する。
相手を信頼できないなら、自分への信頼ができていないのでは?
もっと、自分を信じてあげなよ。
それだけで、本当のコミュニケーションは、始まるよ。
愛する人と、大切な人と関われないまま終わる人生なんて
愛があればあるほどもったいないよ。