Genuine
ジャニュイン
という耳慣れない言葉を初めて聞いたのは、上海からアメリカのバーモント州に引っ越して間も無い頃だったと思う。
バーモントというのは、バーモントカレーのバーモントで、りんごがよく取れるアメリカの軽井沢みたいなところである。
ニューヨークとかボストンから車で3、4時間かけて避暑地として人間が集まるため、だだっ広いど田舎であるにもかかわらずファンシーな店が結構多い。(fancy; チャラチャラした、の意)
カヤックとかスキーとかのアウトドアに飽きてシティが恋しくなったら、ラルフローレンとかアルマーニとかマリメッコで買い物できるようになっている。
なんで中国の上海からアメリカのバーモントに渡ったかというと、中国で出会った恋人の家族がそこにいたからである。その恋人はベジタリアンで、もともとほとんど肉を食べなかったわたしにとって、とても自然なベジタリアン人生の始まりだった。
それは中国上海で始まり、アメリカのバーモントで歩き出し、ニューヨークで育ったのだけど、そのバーモントに訪れてから本当の家族みたいに大事にしてもらい、まるでしばらく成長したら田舎から東京の学校に送り出されるみたいにして、わたしはニューヨークへと発ったのだった。
田舎から東京に送り出されるとき、家族は
「江戸川区に、おばさんの妹が住んでるから、何かあったら連絡しなさいよ!
はい、これ連絡先!!」
そんな感じで、緊急事態にそなえて信頼できる知り合いを用意する。
わたしもまた、恋人の義姉ボニーから
「マンハッタンに住んでる親友のジェニー!何かあったら連絡しなさいよ!」
と言われた。
わたしは、ボニーとジェニーが幼なじみで一緒に育った仲良しで、休みのたびにニューヨークに住むジェニーが田舎に嫁入りしたボニーを訪ねてくることをよく知っていた。
髪の毛を振り乱して土と泥にまみれ、子育てをしながらチビをおんぶして農家のかあちゃんをやっているボニーとは対照的に、写真のなかに映るくるくるパーマのジェニーは、とてもクールな感じのおしゃれな女性だった。
野菜や果物を収穫しては、おおきな台所に拠点をおいて
野菜のしたごしらえをしたり、ハーブの食べられるところをちぎったり、わたしも赤子をおんぶして、白い肌のまるまるのほっぺから漂う乳の匂いを嗅いだりした。
そこはあたたかく、いつもぐちゃぐちゃで、そして木の匂いや乾いたスパイスやハーブの匂いで満たされていて、毎日いろんなドラマが起こりながら子供が成長し、人ががむしゃらに生きていて、それでいて、垢抜けていた。
ボニーはわたしの世話係でもあって、家のことや家族のこと、ニューヨークに住んでる実家の両親の話や、いかにこの家が変人揃いであるかをよく熱弁し
目の前にはいつも作業が待ち受けていたけれど、わたしたちはよく手を動かしながら、たくさんの話をした。
そんなシーンの上で、ボニーが、ニューヨークに住んでいる幼なじみの話を初めてわたしに聞かせるときがあった。
幼なじみがどんなひとかを説明しようとして、ふたりが並んで笑って映っている写真を見せて、
ボニーは、こう言ったのだ。
”She is…she is ….. well…..GENUINE.
She is a genuine person.”
きいたことのない言葉に、ぽかんとしたわたしをみて、ボニーはこう言った。
“Do you know the word ” Genuine ” ?”
ー
その日から、Genuineという言葉は、わたしの辞書に二度と忘れない大切な言葉として刻まれた。
ボニーがジェニーのことを、kind でもなく、sweet でもなく、pretty でも cute でもなく
”genuine”
と表したことで、わたしは、ジェニーがどんな人なのか、説明も信頼する時間も、愛や人間関係を育む時間も必要がなくなった。
なんていうか、すてきな言葉だと思った。
それを、一番の親友に対して使うボニーもだし、そう描写されるジェニーもだし、その言葉は、わたしがその後ニューヨークへ移ったあとも、ずっとずっと最後まで支えになってくれた。
この世界で、Genuine だと胸をはって誰かのことを描写できるような人間が、どのくらいいるんだろう。
自分自身のことを、Genuineだと胸をはって言える人間が、どのくらいいるんだろう。
いつも、そう思う。
Genuineな場所であり続けられますようにと。
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