「やる」と決めたら、次々とふりかかる出来事という出来事。
それがたとえどんなに苦い瞬間だとしても、進む上で絶対に消化していかなきゃ
次にいけないことばかりなのだと思う。
怒り狂って泣いても、不思議とスッと立ち上がれる時間。
いつか、ポップな感じで食と子育てをやろうと一人でスタートしようとした頃とは、まったく違う体験を毎日毎日アップデートしてる。
料理教室も、子育ても、あのとき目指そうとしてたコンセプトと同じなんだけど
掘れば掘るほどそれは深く、今そして、道に迷ったり掘りすぎて窒息する時に
がっちりと横から支えてくれる人々がいる。
果てしない旅を、そもそも1人で宇宙船に乗って飛び出そうとしたのが間違いだったんだ。
まだ何も始まっていない今から、旅の準備を始めようとしてる今この瞬間から
それが壮大な旅だということがわかる。
レゴランドで、125センチ以上しか乗れない空飛ぶニンジャゴーを、前回身長が足りなくて乗れなかったたおさんにしつこく誘って無理矢理のせた。
怖くて、はじめてのものは100パーセントの確率で拒否するたおさん。
安全な範囲しか動かず、その外には出ない。
これまでそれを毎回、少々強引に引っ張って、飛び出すことをさせてきた。
なぜなら、その小さな勇気を出して新しいことにチャレンジして、それができたときのきらきらした目や、嬉しくて嬉しくてたまらない、世界が広がったときの喜びを
彼はいつもわたしに見せ続けてきたから。
「ほら、言ったじゃん、楽しかったじゃん、ママの言う通りじゃん」
「うん」
これがわたしたちのいつも繰り返してきた会話だった。
「絶対に乗らない、もしも楽しかったとしても、絶対に1回しか乗らない。」
と言いつづけたニンジャゴーが、一回終わったあと
「全然怖くなかった」と嬉々として次の列に並んでいた。
何回も乗りたいというので放っておいて、最後きいたら17回くらい乗ったらしい。
わたしたちが、ほんとうにやりたいことは
一番怖いようにできている。
頑なに拒否をして、ぜったいに認めず、抵抗に抵抗を重ねる場所
そこに
本当にやりたいことがあることを
わたしが一番よく知っているから。
わたしは、ニネターブルに向かって今までやってきたんだよね。最後のとりで。
17年にやろうとしてから、どれほどの抵抗と涙と屈辱と挫折と恐怖と失敗を
繰り返し繰り返し味わってきたかわからない。
セラピストなんて、全然始めるの怖くなかったから。
今もニネターブルは多分怖い。
でもニンジャゴーに乗ったタオさんと同じ気持ちだと思うから。