1個かたづけないと、次に進めない。
というのはとても不便だけれど、それは自分の文章にもとてもあてはまっていたことがわかった。
つまり、これを書こうとおもっても、順序立ってないと混乱するらしい。
家事をするのでも、人と話すのでも、なんでもそうみたい。次に進めない。
最近は、チームでのミーティングや、サイトの整理においてかなりの混乱が起こったのを、一個一個紐解いてくれるのを根気よく手伝ってくれるサトという人がいて、だいぶわかってきた。
そのかわり、つまづいたところ、詰まったところを見逃すことがないので、歩みは遅いが、必ず片付けて、必ずアチーブして進める。
そういう理由から、結果的にわたしは人から見ると、望みをかなえていたりとか、やろうとしたことを実現しているように見えるのだった。
強行突破という言い方をされたり、しらないひとからするとかなり強引に見えたり、固執して見えたりするとおもう。
セイユーに行く。と思ったら、それを達成するまで、そのことしか考えられなくなるのには、記憶のキャパシティが関係している。つまり、脇においておく、スペースを持ち合わせていないので、今やらないと、永遠にどこかに葬り去られてしまう恐怖がそうさせるのだ。
単にこだわって今やらないと気が済まないみたいな、自己中心的な感じではなくて、単に1個づつしかできないので、やろうとしているだけで、起こっていることは実にシンプル。
本のなかやちまたでは、「こだわり」というような言い方をされることがあって、それは実際感じてる側からするとすごくズレがあり嫌な言い方なんだけど。
わたしたちがそして、一個つまづいて立ち止まって身動きがとれなくなる時
それを達成するまで次に何もできなくなる時に
救われる方法がある。
それは、誰か別の人が、「覚えておいてくれる」のを助けてくれるやりかただ。
つまり、今セイユーにいかなければいけない理由は、順序が変わることで起こる混乱、後回しにおいておいても、適切な時に行けない、忘れてしまうから。
人が、「セイユーを1番から3番にうつすけど、心配しなくても3番がきたらお知らせします」
と言ってくれると、ほっとして、セイユーに今どうしてもいかなくても済むようになる。
1番と3番が入れ替わって混乱しても、ざっくり説明してもらえるだけで、心労とパニックが10分の1になる。
それは我々にとって救いなのだ。
映画で、パニックになった自閉症っ子に「深呼吸、深呼吸、」と声をかけているシーンを見た。
そして、同じく、結構わたしも何度か、そう声をかけられるようになった。
でも、それでパニックが解除されることはまず無い。
意味わかんないと思ってその言葉を咀嚼したり、映画のシーンも自分と重ねて見ていた。
我々を救うのは、「深呼吸」ではない。
「ハイ、セイユー3番に移りますが、3番がきたら絶対にお知らせするのでご安心ください」
なのである。
子育て中のママは同じ理屈を覚えていてほしい。
子供が、今やらないと!今これやらないと!と動かないのを動かすには、「あとで必ずやる、それを絶対に手伝う。」ということをうっすらわからせることなのである。
「あとでやれるから!」ではダメなのである。なぜなら、1人でできないから。
「あとでやれるように絶対に手伝うことを約束するから」だとできそうな気がするのだ。
我々は、「今」を生きている。
「ママ、ごめんねって言わなくていいよ
ありがとうだけでいいよ」
と、ママ育てをしている神の6歳。(この人もかなりクセのない人)