わたしは、ちいさいころに、
家族がバラバラであったことに、ただ傷ついたんだと思う。
自分が特別嫌な目にあったとか、両親が不仲だったとかじゃないにもかかわらず、みんなが違う方向を向いていたことだけで、そこに愛を感じることができなかった。
でもそのあとで、家族がひとつになるといいなと動いたことは本当に一度もなくて、結局、家族が最後、ほんとうに真剣に、「ひとつにならなければ」と一丸となった出来事。
それは、わたしがいつか1回目の結婚をしたときでもなく、たおくんが生まれたときでもなく、おばあちゃんが入院したときでもなく、おとうさんが怪我をしたときでもなく、妹が結婚したときでもなく、
「わたしが、わたしとして生きる」ことを選んだときだった。
家族のなかで、そういう役割をするひとが1人いると思う。
とにかく、わがままにみえたり、とにかく周りを振り回したりするように見える存在だったり、なにかとてつもなく弱い存在だったり、最初はもしかしたら疎ましがられるようなもの。
それが実は、本領発揮したとき(?)の、家族がひとつになろうとする力は、いまも本当に現在進行形だけれど、ミラクルの連続だと感じてる。
わたしはこれまでも何度か、ことあるごとに家族の前で泣いて、
みんなが無視しあってるのが悲しい
と言っては、「そんなことないよ」と言われてきた。
でも、そんなことなくは無かったのだ。だって、いまは本当に、誰もがちゃんと、相手を見るようになった。表面的な思いやりじゃなくて、真剣に関わることを始めた家族。
わたしが、両親を拒絶して、ひたすら苦しむ時間
父と、母が、それぞれバラバラなのに苛立って
苦し紛れに、来年小学校になる息子にこう言った。
「ママは、おじいちゃんが嫌い おばあちゃんも嫌い」
わたしが、荒ぶっていやなことを言ったり、暴言を吐くことなんてこれまでに何度もあって、そのたびにたおくんはいろんな反応をしてきたけど
わたしが誰かのことを悪く言ったときに、あまり気にするそぶりは無かった。
それが、その時 わたしが、そう言うなり
突然、ものすごく悲しそうな震えた声で
「ぼくは、ママは、おじいちゃんがすきだとおもう….
ママは、おばあちゃんが、すきだとおもう….」
と言って、泣き始めたのだ。
わたしは驚いて、ああ、ひとつってこういうことだ、と思い出して
と一緒になって泣いた。
自分が、相手に嫌われることは悲しい。
自分が、誰かと喧嘩することは悲しい。
でも、本来はそれだけじゃない。
自分とは関係なくても、大切な人たちが、こころを通わせることができなくなること
それは、とてもとても、自分にとっても悲しくて涙が溢れることなんだと。
わたしは、お父さんとお母さんに、本当の仲良しになってほしかったんだ。
それが悲しくて、ずっと悲しかったのだな。
「ぼくは、ママに、おじいちゃんをすきでいてほしい。
ママが、おばあちゃんをすきでいてほしい。」
まっすぐにそう自分の意思をわたしに伝えられるようになった息子は、来年小学生になる。だいぶおおきくなったたおくんを抱きしめて、ふたり眠った。
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家族は、バラバラのままで諦めることもできる。
意思疎通ができないまま、離れて暮らすことも、距離をおいて過ごすことも、平和を装って、相手に興味がないまま残念だったなと思いながら、人生を終えることも。
それは、わたしたちのルーツであって、いろんな目的で家族として生まれてきたにせよ、目を向けて、ひとつになるために取り組む価値のある場所だと思う。
わたしたちは、その基盤の上で、いろんなものを支えられて、そして健やかに社会で生きてゆける。
大嫌いだった家族や 理解しえぬ存在だった家族
離れるしかなかった家族や、いまこの瞬間に遠く感じる家族
表面でつながってる家族
それでも家族
とおもうか、
家族になることをやってみるか。
本来の状態に、戻るだけだよ。
あなたの家族がひとつになれるよう
心から応援してます。