「ひとつ」になるまで
”本来の姿”に戻るまで、つづくもの
と書いたけど、これは、誰にも必ず自然と起こることじゃない。
なぜなら、
最初から「結婚とはこういうものだ。」と割り切って、諦めて、特に興味もない相手と形式的な夫婦をやりとげる人生を送ってる大勢のひとたちが大半だから。
これは、”ひとつ”や”本来の状態”を知らない、という一因もあるけど、知らないから目指しようもない。悲しいことだけどね。
それをもがきながら、苦しみながら、なんとか繋がりに向かおうとすること自体、まず凄いことだと思うんだよ。
多くのひとはきっと、そんなチャレンジをする前に、最初から切り離して楽なほうを選ぶから。
だからまずは、自分が「本来の、家族があるべき姿」にしっかり向かおうとしている、ということを思い出してほしいんだ。
あまりに苦しくて、
わたしに結婚なんて難しすぎたのかもしれない。
子どもを育てるということも。
xxxちゃんも、わたしの子じゃなかったら、もっともっとマトモでいられたのかな。
もう辛くてどうしようもない。
愛する人たちと分かり合えないのは、わたしが悪いから。
こうやって思うのは当然なんだけど、目的地がブレると、大きな変容は起こりづらくなる。
なぜなら、家族ごと癒やしを起こしてひとつになるということは、長い間自分を癒してきた規模を、チームの規模で起こすということだから。
適当に、癒しは起こらない。意思がそれを引っ張る。
選択が結果を作る。
自分自身の古い感情を浄化し続けて、変化を続けてきた中でも、それだけでもものすごいエネルギーをこれまで要してきたでしょ。
そのとき、生半可な気持ちはあまりなかったはず。
「わたしは、これを超える。わたしは、この苦しみを終わらせる。わたしは、必ず一段上に行く。」
多分毎回そうフラグを立てて、確たる「選択」をすることで、自分が引き上げられてきたと思うんだよね。
もう本当苦しい、もう無理、ぜったいこんな辛いの乗り越えるなんて無理。
そう何度も何度も思ったはず。
「でも、それを越えていく」と決めたから、それは無理ではなくなった。
今回、いまの時点でまだ、
”なんでこんなうまくいかないのかな” ⇨ どうせうまくいきっこない
こんな頑張ってるのに変わらない ⇨ わたしが悪いんだきっと
「家族がひとつになる」と信じてない。
どっちかというと、どうせバラバラのまま。どうせダメ。
という、「家族はバラバラ」説のほうが信憑性があると思ってる。
これをね、まずは、
「自分が頑張る、努力する」を捨てて、
「家族がひとつになる」の行き先にシフトしてほしいんだ。
自分がどれだけ頑張っても、どれだけ努力しても、結局「ひとつになる」が信じ切れてなければ、自分の無力感を強めてしまう。
ここを、
「がんばるか、がんばらないかはさておき😅、とりあえずひとつになる方向で。。。」
くらいにまず”決めて”ください。
そしたら必要なことが、ぽこりぽこりと必ず起きてきます。
ひとつになることを諦めたら、そこで試合は終了。脱落するけど、家族風の何かに属して仮面夫婦を選んで生きる。楽にはなれる。
多くの人はこう。
でも、今苦しんでるのだとしたら、それは諦めていないから。
そのとき、「ひとつになる」に向かうしか道は残ってない。
今の狭間で板挟みでもがき苦しむのは、長くは続けられません。臨界点を越えればどこかが破綻する苦しみの運命だからね。
どうすればいいんだろう?は捨てる。
これ以上何を頑張ればいいの?も捨てる。
握りしめてきたその苦しみの代わりに、
どんなに今この瞬間苦しかろうが、わたしは
「そこに向かう」んだ。
これを再度、決めてください。