ほんとうにほしいものを、手に入れるために
ほんとうにほしいものを、手放しつづけるのだとおもう。
ほんとうにほしかったものは、ほんとうにほしかったから
だから、あきらめたり手放したりすることは
しぬほど苦しいレッスンになったりしたけど
ほんとうにほしいからこそ、乗り越えられる。
ていうか、それほどにほしいからこそ、
それほどに愛しているからこそ、
あきらめることができるのだと思う。
わたしの手からは、そういう意味で、なにも、なくなった。
すごく、すごく、ほしかったものがいつか山ほどあって
それを手に入れて、
失って、
そして、ほんとうにほしくて、でも失って、
わたしは手放すしかできなかった。
なにもない場所に、ささやかに芽生えていくものは
どれも
わたしが「いつかほしかったもの」ばかりだ。
ほしいときに、手にすることができることは、楽しい。
嬉しいし、ほしかったやつだ、やった!と思えるから。
しぬほどほしかったときに、諦めて、手放して、そして
ほしいと感じてないときに、手にすることができることは、苦しい。
胸が苦しくて、ずっとほしかったやつだ、と思う。
わたしはきっと、周りからみると
やりたいことを色々叶えているように見えるとおもう。
これがやりたい!といって実現して
こういう人にきてほしい!と願って実現して
その瞬間は断片的であるにせよ、いまなおたくさんのことを学び続けている気がする。
過去も、未来もすべてを消化して
受け入れて、ただ今この瞬間に起こっていることに
純粋にコミットする、ということを。
欲しいものが、自分(エゴ)なのと、純粋(愛)なので
おなじ欲しいものを手にするでも
まったく違うものになるんだと思います。
自分がやりたかったこと、やっていきたいことを考えると
同じ結果でもまるで違うから。