スピ系お話会的なやつちょっとご縁があり、
仕事してた時はそういうの全く行く時間なかったから、
この間ものすごい久しぶりに行ってみたんだけど…
やっぱキモい
と思ってしまう自分
(キモいのに行くんかい)
や、失礼なこと言ってるのは重々承知
わたしがそういうの理解できるレベルに達していないのでしょうね
だがしかし、
愛していますとか
ていねいに生きるとか
もうええわ…
って思う
そこにはわたしのジャッジが入ってるんでしょうね
それでも
や、無理
お風呂入るたびに自分の体にありがとうとか
愛してるよとか
それって、必要?
そんなもん、中学生ぐらいの時から、
あぁ、歩けるとかご飯食べられるとか排泄できるとか、
ありがたいことなんやろうな…ってじんわり思ってたよ
それでいいんじゃないん…
わかってるけど、自分に腹立つこともあるし、感謝なんかできない時もあるわ
怒り心頭、悲しみ心頭、
そんな時まで丁寧に生きてられるかっ!
ティッシュの箱壁にぶつけてわんわん泣いてる時だってあるわ!
というわけで
ボスの菜食雑食でエネルギー操り試験とかは、
ほんとに「すご…丁寧。発見をまたブログに書いてほしいな」とか思うのにね…
愛してます丁寧に生きてます攻撃@スピ系お話会に対しては、
ホオポノポノ的なことは自分でやるからほっといてくれ!!!って思う。
○参照
女神の告白室、という不法投棄場をやっております。
自由にいろいろ悩みとか愚痴とか、食についての質問を放り込んでいただける場所です。
たびたび、なんちゃってセラピストへの愚痴やらなんちゃってスピリチュアルへの愚痴やらが届く告白室ですが、
わたしも昔、一時期まいにち自分にありがとう!とかやってたわ。
まいにち感謝できること書き出すありがとうノートもやってた。
ごめんなさい、ありがとう、許してね、あとなんだっけ・・・
といい続けるやつね。
(今は全くやる気もないけど常時無意識にやってる気がする。)
投稿の中に、”そういうの理解できるレベル”
と書いてあって、たしかに「波動自体」がかけ離れている場合は違和感を感じることもあります。
でも本当は、単にそのスピリチュアルがなんちゃってだから、というのも多いケース。
その「愛」の次元に行くと確かに、「全てに感謝」「全てが愛」になるけれど、
いまこの三次元の人間世界で、その次元に本当に達してるひとってすごく少数だと思う。大半はなんちゃってか、自分ではそう思ってるけど実際は山ほどネガティブな感情を抱えつつ、自分で気づいてないとか。
思うけれど、本当に達観しているひととか
本当に何周も回ってその次元に達しているひとは、
なんていうかもう少し、さりげないです。
「攻撃」って書いてあるけど、本当に、本来ポジティブなそれも、本人のエゴが入った時点でただの押し付けになるからね。
だからその違和感は、単に「ホンモノ」かそうじゃないかを嗅ぎ分けてるだけかも。
愛も、感謝も、自分を大事にする、とかもそうだけど
最終的に「自分を愛する」「感謝する」というのは、
自分のこと大嫌いだよなあ。
全く感謝できないなあ。
ま、それでいいんだわ。すくなくとも今は。あと2回くらい生まれ変わったら
毎日ありがとうだわ。ま、200年待とう。
の↑この「まいっか。」という受け入れの部分にこそ
「愛」がある。
通常ひとが進化していくと、
上がればそこにいるのが心地よく、同じレベルのひとに囲まれるようになっていく。
ベジタリアンはたいてい雑食をバカにするもんだし、
ま、「今日も自分大嫌いだったぜ」という人は
「今日も自分の身体にありがとう」と言いたい人とは一緒にいて心地わるい。
別のものが心地よいかどうかはまた別問題として、
とりあえず、
自分がどこにいるかにかかわらず、そのネガティブな感覚をただ大事にしていくこと。
それを丁寧にやっていくことが正解です。
ちなみにこの台所では、
ベジタリアンとオムニボア(雑食)の共存を目指しております。

平和だったゴールデンウィークも無事終わり。

食にまつわるご質問も、癒しにまつわるご質問も
ひきつづきお待ちしております♪
あ、そういえば先日書いた、病み上がりラジオがアップされたみたいです
ぜひお聞きください(自分はまだ恥ずかしくて聞いてない。)
またラジオについて書きます。

世界中に愛と癒しが行き渡り、みんなが支え合って生きてゆけますように💕



