おみそしるに、甘みを足す、という習慣はあんまりないかもしれません。
おいしい、状態というのは、味のバランスが整っているということでもある。
入れるはずのない場所に、酸味を一滴垂らしたりとか、入れるはずのない場所に、甘みを一滴垂らす、ということができるようになると、その料理はかならずおいしいものになっていく。
たとえば味噌というのは、塩辛いけれど、ものによって塩辛さの度合いも違えば、甘みも違います。
ベジタリアン、ヴィーガンで出汁をとると、鰹節とかいりこなどの動物性のものは使わないので、基本はしいたけとか昆布でとる。
そうすると、日常飲み慣れている味からすると、淡白で味気ないものに感じたりします。
そういうときにどこを足し、どこを引くかというところにとても気を配るの。
足せばいいってものではなく、引けばいいってものではなく、たとえば味噌汁なんかは、最後味見をしたときに
「何かがたりない」と感じるとき、わたしはよく、みりんを一滴足したりします。
飲ませる相手によって、それは酒になったりします。
みそをたすのではなく、塩を足すこともあります。
家族や子供が3人いたりすると、それぞれの器にそれぞれ一滴ずつ違うものを入れることも。
それは魔法をかけるのと一緒で、さらっと2次元的な(ひらたい)味に1センチの奥行きを出して、3次元に変えることににてる。
味わう側は、「甘み」や「酸味」を感じないレベルの違いを作るのが大事。
聞こえない音や、感じないエネルギーを通してひとが癒されてゆくように味もまた、「わからない」けれど「わかる」状態を作るために入れる、その1滴。
今度、お味噌汁を作って何かが足りないと思ったらやってみてください。
そうやって、コミュニケーションをとるの。
料理という架け橋、むこうにいる人間と。