2019-06-29
すごく不思議な苦しさだった。
SNSとかFacebookとか、3次元で自分が外にでていくときのあの苦しさ。恐怖とかひとにどう思われるかが怖いとか、いろいろ。
でもなんていうか今更という気もしたし。
わたしが主に発信というか、自分のことを世間にむけてちゃんと自己開示(って言う言葉はもはや少し懐かしいけれど。)し始めたのは2015年の春か夏くらい。そのときは自己開示っていって、自分のことをブログに赤裸々にかくのがすごく流行っていた。売れるための儀式みたいな。
朝からもやーっと苦しくて、昼に市役所のところで泣いて。
午後も帰ってきて、すごく苦しかった。
書いても書いても、それをアウトプットするときに立ちはだかる壁と。
いつかの傷ついた、恥をかいた、いたたまれない記憶。
面白いことをしようとするときの、恐怖とか。
とにかく一番自分の本質に近いところで疼く感覚。
とりあえず感じていくと、自分が自分じゃない姿になることを自分に許してしまったことが、とても自分にごめんなさいという気持ちなみたいで。
つまりはどうしたらひとに受け入れてもらえるんだろう。どうしたらひとに読んでもらえるんだろう、みたいな、自分を一生懸命作って演じて、好かれる努力をするみたいな。
それをイメージしてくと、しろくてぶよぶよの死んだホルマリン漬けのあかちゃんみたいな自分が、すこし前方で浮いている。死んでいる。
必死でそれをつかみ、自分のなかにもどすというか抱きしめたら涙がとまらなかった。わたしは、自分の一部を、切り渡していたのだとわかった。
それでね、面白いんだけど、それはすこし抱きしめていくと命がもう一度光り始めて、心臓の鼓動がすこしきこえたの。
でもね、そのあとで、いってくるわ!と探知機みたいのを体の中に埋め込んで、また出ていく子。
調査にいってるみたいなのよ。世界がどんなふうに、何が流行っていて、何が必要とされてて、どんなふうに打ち出すといいかっていう。
だから、その探知機は隠れてて、姿は幽霊みたいで、私の手元にはレーダーだけがのこった。
つまり、自分がどこにいるかわからなくて不安と恐怖で押しつぶされそうになってたまらなく苦しいときに、
彼はただ、探検にいっているのだと。
しかも、どこにいるかちゃんとGPSがついてるからわかる。
とくに傷つくためにいっているわけでもなさそう。
変な感じだったけど、眠って、あんちゃんの夢をみた。
あんちゃんは、マイの前の旦那さん。
彼は笑っていて、わたしをゆるしてくれた。
起きて、またものすごく泣いて。
今日は、できない自分。売れない自分。売れようと演じて自分から外れている自分。
助けてもらっているのに感謝できない自分とか。
りゅうじが、シンプルやろって
言ってくれて嬉しかった。
愛してるっていったら、
しばらく考えて
うん
て。受け取ってくれた。
たびは続く。とても楽しいと思う。がんばろう。
2019-06-29