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本も読まない、なにも教えない、一緒に遊ばない、というわたしの放置すぎる子育てのなかで、

唯一スパルタを貫いているところが2つある。

それは、食と歯磨きである。

タオさん(5歳)はおしっこをちびるまでガチで歯磨きができるまで叩き込まれた。

 

食べることに関しても同じで、手厳しいが、大きくなったときに、当たり前に、自然に、食べることの関わりかたの基礎ができているように。

 

今は、理解できないこともたくさんあるかもしれない。

それでも、毎日毎日同じことを言う。

 

 

・最後まで集中して、食べる

・食べすぎない

・配分(野菜やごはんやお菓子の量)

・時間の管理

・残さない(残さなくていい量だけを盛る)

・苦いものや、食べたことのない味を必ず食べてみる

・食べることへ感謝をする

・作ってくれたひとや、そこに関わったすべての命や、人々に感謝をする

・歯をきちんと磨く

・ひとに分け与える(好きなものをみんなにシェアする)

・美味しく食べる

・楽しく食べる

・身体を大切にする(痛みもきちんと感じてあげる)

・食べることを大切にする(音を立てたり、行儀悪くしたり、雑に扱ったりしない)

 

 

 

嫌いなものを残したり、量や時間を自分でコントロールできないのは、子供だからではない。

どうやってそれを扱っていいか、教えてもらっていないから知らないだけなのだ。

でも、それをきっちり教え込むには、多分大人自体がそれを確実にできてないととても難しいと思う。

むりやりただ、嫌なことをやらせるのは教育ではない。ただの抑圧だ。

むりやり感謝を述べさせることも同じ。それはただの強制だ。

 

そうではなく、苦手なことや、嫌な味とどう関わっていくか。

どうそれを感じ、味わい、そして消化していくか。

それを手取り足取り教えてあげること。

本当の感謝を、自然に感じていくこと。

できたことに、祝福と喜びをめいっぱい感じていくこと。

 

これは嫌いな野菜なだけではなくて、その後の彼の人生の、全ての局面へと繋がってゆくと思う。

 

それは、わたしが自分の人生で後天的に身に付けた全ての貴重な経験のなかでも、もっとも大切なことのうちのひとつだから。

 

 

計算や、ひらがなの書き方は、どこかで教えてもらえる。

でも、食べることの尊さや、身体を持って生きていることの素晴らしさや、誰かを愛することの大切さのこと。

本当のきもちを、勇気をだして伝える大切さや、それを受けて止めてもらうことの尊さ。

安心して人と関わることができること。

 

 

そういうものを、わたしは自分のありったけをかけて、彼に送りたいといつも思う。

 

いつもありがとう。