好きで、

テーブルの上に転がるブログ。

そこはいつも、 しあわせだなあと やっぱり思う。

どんなに悲しくても、 どんなに荒んでいても、

どんなに辛く苦しい時間を くぐり抜けているときでも

不思議と テーブルの上は

そこにある 何気ない生活は

いつも必ず 最低限には 戯けてみせて

それはきっと 「食べる」という行為自体が

そもそも神妙になりえない、

だからだとおもう

 

ちょうど、聖職者が神聖な職場で性的行為から離れていても

ベッドの上で、交われば そこは動物として、

愛を交わす場所にしか なりえないのに ちょっと似ているような。

 

それはとても、 どんなときも 優しかったな、と

ひとしきり 「食べる」の意味を「生きる」の意味を
考えていたところだったけど

最後は なんだか

ささやかな そんな テーブルの上に転がる

小さなリンゴみたいな そんなイメージに収まって

あったかく わたしを 包み込む。

 

ごはんを食べるという行為は
ただ それ自体が

人間じみていて それは

命を生かすなんて 大それたものじゃなくとも
なにかを口に入れた瞬間に

わたしを人間に 戻す

この世界に自分をつないでおくための

小さな、黄色の ちょうちょ結びだ。

 

台所で しあわせじゃなかった記憶は

ひとつもないような気がする。

 

やっと かえってこれた。

 

いつか離れて
もう2度と 戻らぬかもしれないとおもった

その場所へ。

 

 

わたしの、 たったひとつの 聖地に。

わたしは、幸せだ。

 

好きで好きで好きで好きで好きで 好きすぎて

離れることしかできなかった

あのときの自分は

 

ひとつも後悔なんか しなかったけど

 

いま まわりまわって辿り着き

戻る

愛おしい場所

 

わたしは、 料理が 死ぬほど好きなんだ。

 

「好きだった」過去が、

今この瞬間に数年分

まとめて雪崩れ込む

 

 

たまらなくて、

震える。