こんにちは、女神の台所へようこそ。
セラピストのときが静だとすると、ごはんのときはかなり動です。
もちろんごはんを作るとなれば、じっと瞑想状態で豆を炊くのもアリなんだろうけど、
わたしの場合は普通に踊ってないとごはんが作れないといっても
過言ではないくらい、結構素で踊ってる
フライパンに火をかけて、微妙にこう、炒めている15秒くらいの間とか、
おいしいご飯を作るコツは「手をできるかぎり離す」ことなんだけど、
つまり、ぐるぐるずっと見張ってかき回していては
美味しいものはできなくて、
くるっとかき回して、15秒待つ時間ができるわけです。
その間に、もう一品の別の工程のなかで15秒で終わるプロセスを、
美しく完了させて、フライパンに戻るとか。
それで15秒ひまになったら、踊ったりとか…
セラピストやってるときに、ひとの内側を美しい幾何学模様で捉えて
パズルをくみたてる楽しさと結構似てて、
じっと精神を集中させて意識のなかでそれを捉えるのがセラピストとしての仕事だとすると
ぴたり、ぴたりと体を動かしリズム感に沿って身体をつかって片付けていく、または作り上げていくのが
料理なのです。
そういうとき、わたしのなかではずっと音楽が鳴り響いていて、4ビートを踏み続けるようにあっちへこっちへ順繰りにドラムを叩くような感覚で動いているので
素で、踊っていて調子がでるとそういうわけで15秒出張にでて
台所から離れて、隣の部屋でひととおり踊ってジャンプして、くるりと回って
フライパンに走って戻ったりします。
そのギリギリ焦げる手前のスリルを楽しみつつ、
「手を離す」という料理における重要な「間」に遊んだりとか。
とりあえずわたしの場合、料理について匂いとか味だけでなく
音や触感や温度や湿度をくまなく全開にしてやるのが普通みたいで
そんなわたしが食の道に進んで、ニューヨークで経験してきたことをまとめたプロフィールがこちらです
火と油と汚れとともに男臭い場所でドロドロになりながら、同時に6つのコンロに火をかけて、
器用にフライパンを片手にディナータイムのオーダーを
ヘッドシェフとして尋常じゃない速さでこなしていた時期。
本当に、好きだったのです。
ドロドロで、自分の細長い指先の爪の中が真っ黒になって、それが洗ってもとれずにこびりついて
腕に繰り返し火傷のあとをおっても
それでも、大好きで大好きで大好きで死ぬほど料理が好きだと感じていたあの頃。
泣き、笑い、怒り、暴れ、それでも踊って、
毎日忙しさのピーク時に、奥のシンクでリアルに頭から水をかぶって
(厨房は熱がすごい)
同僚のメキシコ人たちに ロカLOCAと呼ばれていたあのころ。
もう2度と戻ることはないけれど、愛おしい記憶。
いまの自分の、すべてを支えている土台になっていると思う。