わたしのまわりには、お人好しで純粋なひとたちで溢れてる。
才能に満ちてて、人に分け与えられるものをたくさん持ってて、
上手に使えば最高の武器になるのに、苦しむひとたち。
みんなを見てて、すごく思うことは
優しすぎて、お人好しすぎて、誰かのことを想いすぎて、
そしてあまりに純粋で
それでたくさん、たくさん無理したり傷ついたりするんじゃないのかなって
いつも思いながら
どうしたらそういうみんなが、安心して生きてゆけるようになるんだろうと
ずっと終生、考えてた
自分もまた、そうやって自分の何もかもを差し出しすぎて、何度も壊れてきてしまったから。
愛があるからこそ苦しむみんなを守る方法のことをそして、
考えて考えて考えてみたけど、
これはやっぱり、1人ではできない次元のものなんじゃないのかな、という結論にたどりついてる。
今はまだ、みんながそれぞれ、誰の助けも得られなかったり、
そんなのは普通ひとりでやるもの、と思い込んでる部分が山ほどあって
そしてわたしみたいに、助けを求めまくってトライしても
結局誤解されたまま、必要なことが行き渡らなかったりする場合もある
だから、自分のそういう性質で、人との関わりの中で消耗してしまう人たちが
今すぐに誰かに守ってもらえるかといえば、それもわたしたちの長い旅なのかもしれないけど
ただひとつ言えることは、
もう、「こういう時はこうする。」などの
1人で他人との間に線を引くような、練習はもう臨界点をとっくに超えてて、無意味、と言いたくはないけど、まったく根本解決にはつながらないと感じた朝。
そして、その時に、絶対的に必要になってくるのが、
「ひととの関わり」になってくる。
自分を守ってくれる人との関わり
間に入り、盾になってくれる人との関わり
そとの人間関係ですり減ることを防ぐための、近い人との関わりのこと
なんとか自分もまた、そういう人を見つけていきたいし、
そして同時に、自分も同じく、よく状況を理解しているからこそ誰かを守ることができる。
間に入ったり、盾になったり、大好きなみんなを守るために自分ができることはきっとあると感じる。
純粋で、愛がいっぱいのみんなは、基本Fragileだ。
世界の中で、そういう存在は、どれも守られるようにできている。
赤ちゃんや、こどもや、お花や、芸術や、そういうものは
基本、自分たちで自分を守る役割に、生きてない。
だから、誰か別の役割の人たちが、それを守らないといけないと思う。
もしも逆に近くに、とても純粋で繊細な人とつきあっているような人がいるならば、それについてあれこれ、「優しすぎるんだよ」「お人好しすぎるんだよ」
とできないことを責めたり憂いたり文句を言うかわりに、
”その存在を守ることができるのは、自分なんだ”
という気持ちを持ってくれたら嬉しいなと思った。
世界は、個々で成り立っている。
個々で成り立ちながら、個々が支え合う世界が、ほんとうにひとつになれる世界だとわたしは思う。
今の日本は、個々で成り立っていない。
みんなが、自分の存在や他者の存在をしっかりと認めることはできない上に、集団や組織のほうが上にきていて、なお、支え合うことがまったくできていない。
勝手にやりなよ、自分の属している場所とは、別だから。
そうして切り捨ててゆく、間違った個々のせいで
結局、苦しむ人は減らなくて、みんながひとりで抱えて頑張りすぎて、
そして何も、解決していかないことは
見ていて、ずっとずっと胸が痛むことだから。
純粋なみんなが、ちゃんと守られるべきだと
この世界が気づいてゆくまで、代わりにわたしが守るよ。できることをする。
1人でがんばらないで、なんとかしようと苦しんでるなら、
それは本当は、あなたが誰かから守ってもらう場所だから、そういう存在を一緒に見つけていこう。
わたしも必ず、見つけるよ。
守る能力のあるひとたちは、どうしても、1人でやれる分、守ってもらう必要があるひとの気持ちを理解しづらいこともある。
そんなの自分でやればいいじゃん、自分のせいじゃん、と思ってしまう。
そして結果、守ってもらう必要があるみんなは、できないのにお互いを守ろうと動いて更に辛くなってしまう。
この豊かな国は、持っている人が、持っていない人に分かち合うかわりに、持っていない人のきもちがわからなくて、バラバラになりつづけてると思う。
誰かに手をさしのべることは、確かにとても怖いことだけど、「できること」だけでいいことで十分だってことを
忘れちゃいけないよね。