対「日本」というテーマをありありと認識してから1年以上がたつ。
もともと海外にいたころから、すごい無国籍だったわたしは、海外に在住の日本人らしい日本人らしさの微塵も持ち合わせてなかった。
いまだに中国人に間違われるからな。こないだも空港で中国語のパンフレット渡されたし。そういうとき黙って中国人のフリをするのが好き。
なんで私は日本人に生まれてきたんだろう?と長い間疑問だったのが解けたのが1年ちょっと前のことだった。
それからというもの、個人を癒すレベルではない(日本)という集合無意識を前に、呆然とし、慄いて怒り、憤り泣き、絶望し、受け入れ、以下続
って感じでやっとひと段落
落ち着いていきそうな今日この頃。😂
ところで日本の、「へりくだり」と「自己犠牲」の精神が、もたらす弊害のことを考えてた。
いろいろ風通しのいいコミュニケーションや関わりができる人たち(日本人に少ない)と、
回りくどく、複雑で、いろんなものを隠す日本的なコミュニケーションの違い。
それが顕著にでるのが、「助ける」「与える」とかの時だったりする。
なにかを与え、受け取ることを、掛け値なしで素直にやれると、コミュニケーションはとてもシンプルで、
5個持ってるから5個あげるね。⇨ありがとう
こんな感じになる。
少ない時や持っていない時も、
今1個しかないけど、1個だけあげるね ⇨ありがとう
今は1個もなくてごめんね💦 ⇨ 全然だいじょうぶ!ありがとう😄
こんなかんじ。できてもできなくても、すごおくシンプル。感謝しか生まれない。
これがだね😂、日本の多くの場合は、こうなる
5個持ってる場合
5個しかわたし、持ってないから。⇨ 。。。。。。。。。💧(え、5個あるんじゃ、、、くれるの?くれないの?)
1個持ってる場合
わたし、全然持ってないから。⇨ 。。。。。。。。。。。。。。。💧(1個あるって言ったじゃん😭)
0個の場合
むしろ相手に怒り出す⇨ 。。。。。。。。。💧(無いって言うだけで済むのに😭)
このヤバさが善良な多くの日本人の場合、無自覚な時がほとんどで、コミュニケーションはこじれにこじれ、悲惨になる。
結果⇨豊かな国のはずが125カ国最下位になる💦
ところで
それでこれってどこからくるかというと、
「へりくだり」と「自己犠牲」の精神を間違えて使ってるからだと思ったんだよね。
この半年いろんな人を見てきて、どうしてこんなに助けたい気持ちがいっぱいあるのに助けないんだろうとか、どうしてこんなに愛に溢れてるのに何もしないんだろうとか
色々不思議すぎた。
でも、大抵、
「自分は全然なにもしてないから!」と言い続ける人ほど、
比例して
「自分はこんなにしてやってるのに!!」と怒ることがわかってきた。
それに対して、
「少ないけどできることするね😊」と謙遜なしの人は、
できてもできなくても、ほとんど見返りを求めずにやれる。
素直に自分を無理なく与えられるので、
「わたし、こんなにしてあげてるのに!」という意識もまたゼロになって、みんなに感謝ができる。
謙遜という美徳とか、つまるところまだまだ自己犠牲の精神が根深いこの国。
それくらいに、尽くそうと思ったら尽くしちゃえるくらいに
愛が深いから、だからこそ自分を見失う恐れに満ちていて、身動きがとれなくなってる人が大勢いるんだよね。
国のために命を捧げた特攻隊って、時代錯誤だけど
どう考えてもその名残に満ちてるんだろうなあと思わずにいられない。
その、一回自分を捧げたら、どこまでも尽くしてしまえる性質って素晴らしくって、
自己犠牲から愛を与えるほうにシフトしていけるといいよね。
今はまだ多くの人が、「責任」を自己犠牲だと勘違いしてる。
本当の意味の「責任」が、本来のコミットメントで、ただ「自分を生きる」ことだとわかるようになっていってほしい。
なにかをわき目も振らずに愛したり、与えられる素晴らしさって
この国でもまだちいさなこどもたちはよく知ってて、
日々みんなに大事なことを伝えていきたいな、と話してる。
10年ちかく前の写真。
今日はグリーンブックという黒人の差別と音楽の映画をみて、とても心が暖かくなって、やさしいきもちになった。NYが舞台の映画はいつみても好きだけど、今日のはよかったなあ。
人権、はこれからの日本のおっきなテーマ。